赤城山や榛名山の近くにあって、子持山は訪れる人が少ない山です。赤城山や榛名山と同じ那須火山帯に属する古い火山で、火山活動の末期に大爆発があったため山頂部が吹き飛んだ山です。その後、激しい侵食が進んだため、標高はわずかに1,300メートル。しかしその複雑な地形から、変化に富んだ山行が楽しめる山です。
子持山の登山道には、屏風岩を経て山頂を目指すもの、電波反射板のある稜線を経て山頂を目指すものなど、幾つかのルートが開かれていると言います。今日は電波反射板のある稜線から山頂を目指すことにします。
6号橋近くの道端に車を停め、舗装された林道を登っていきます。しばらく登ると左手の暗い杉林の中から登山道が始まります。急な登りにひと汗を流すと、明るい雑木林の稜線に飛び出しました。この付近はまだ雪が融けて数週間しか経っていないようで、ミツバツツジなどの潅木もまだ固い蕾に覆われています。やがて露岩に覆われた急な稜線を登ると、明るく開けた電波反射板の建つ稜線です。目の前にはそそり立つような獅子岩。古い火山の火道が侵食されずに残ったものとか。100メートルほどの切り立った絶壁は山水画を思い出させる眺めです。カヤトに覆われた稜線にリュックザックを下ろして小休止です。
ここからは再び急な稜線を登って行きます。急な斜面を左手に登って行く道は、獅子岩を目指す道。右手の道は獅子岩の基部を巻くようにして山頂を目指す道です。まるで人工の建造物のような垂直の壁の脇を登って行くと、獅子岩への分岐点です。そそり立つ岩峰の上には数人の人影。ここからの踏み跡をたどると鎖や梯子を伝ってその頂に立つことができると言います。
7号橋から登ってくる道を合わせ、急な露岩の登山道を登って行くと潅木に覆われた明るい稜線の上にたどり着きました。心地よい稜線をしばらく進むと前衛峰である柳木ヶ峯です。ここからしばらく登ると、登山道は痩せた岩の稜線を登って行くようになります。岩角や木の根に捕まりながらひと登りすると子持山の山頂にたどり着きました。
山頂は南北に細長く伸び、1296.1メートルの一等三角点と「十二山神」と書かれた石碑が立っています。ここからの展望は思いのほか素晴らしく、北側にはまだ白い雪を被った谷川岳とこれから続く武尊山。東側には関越自動車道をはさんで大きな赤城山。その稜線はまだ残雪に覆われています。西側は潅木に覆われ、あまり展望を期待できそうもありません。それでも目の前に小野子山、遠く霞む稜線は四阿山から草津白根の山々でしょうか。
山頂で昼食の後、浅間山の山頂を踏んでから登山口に戻ることとします。柳木ヶ峯から道を右に折れ雑木林の中を下って行きます。踏み跡はしっかりしていますが、余り人が入っていないようで、登山道には枯葉が厚く積もっています。急な下りが一段落したところが鞍部である大タルミ。ここから左に下る踏み跡は8号橋に下る道とか。明るい雑木林の尾根道は小さなアップダウンがあるものの、心地良い尾根道です。道端には山岳信仰の名残と言う牛十二の大きな石の祠が祭られていました。ここからは浅間山への登りが始まります。
たどり着いた浅間山には富士浅間皇大神と書かれた石碑と小さな石の祠が三つ立っています。西側は展望が大きく開け、春霞の上に広がる榛名の山々。ひときわ聳え立つ頂は相馬山。振り返ると冬枯れの梢の先に大黒岩がそびえていました。
山頂で小休止した後、登山口に戻ることとします。しばらく明るい稜線を下っていくと子持神社への分岐点です。ここから道を左に。明るい雑木林の中を下っていく道はかなり急な下り坂です。しばらく下った道端には炭焼き釜の跡と言われる石祠があります。炭焼き釜としても利用されていたのでしょうが、溶岩が作り出した自然のトンネルと言ったところでしょうか。しばらくすると登山道は杉の林の中を下っていくようになります。やがて目の前に屏風岩がその姿を見せるようになると、車を停めた6号橋はすぐ傍です。
子持山はまだ春の目覚めをむかえ始めたばかりです。子持神社の参道はソメイヨシノやシダレザクラのトンネルといったところですが、山道ではまだまだ木々の芽吹きも始まっていません。それでもアブラチャンでしょうか。黄色い花が咲き始めていました。