現地の案内板によると「一般に浅間神社は、浅間社、又は仙元(浅間)大権現として呼称されていたが、七沢浅間信仰は養蚕、子宝、安産を祈願の目的としている。別当禅法寺の僧による縁起書にも子宝、安産が示され、由来は孝元天皇時の創建で、後に上杉定正によって造営がなされた」とされていました。
七沢にある七沢神社は浅間神社の遥拝所になっています。
せんげん道と呼ばれる参道には古い丁目石や奉納碑、小さな社などが祀られています。山頂直下の広場には浅間神社の社が祀られています。近くにはモノレールがありますが林道などが通ていない山頂に社を造営するのはなかなか大変であったと思います。
日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。
日本神話に登場する神。別名 和多志大神、酒解神。日本書紀は大山祇神、古事記では大山津見神と表記します。
古事記では、伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれました。日本書紀では伊弉諾尊が軻遇突智を斬った際に生まれたとしています。
八岐大蛇に登場する足名椎(あしなずち)、手名椎(てなずち)や木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)の父であり天津神(あまつかみ)に対する大地の国津神(くにつかみ)として登場する神様です。山をつかさどる神で、水の神、田の神としても信仰されています。
日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。
また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。
第8代の天皇(在位:前214年1月14日 ~前158年9月2日)孝霊天皇の皇子。軽の境原宮に都を移す。陵墓は奈良県橿原市石川町の劔池嶋上陵。欠史八代の一人で実在性については諸説ある。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
古事記に登場する神で、伊邪那岐尊、伊邪那美命によって生み出された最後の神です。出産時に伊邪那美命の陰部に火傷ができ、これがもとで伊邪那美命は死んでしまいます。怒った伊弉冉尊は十拳剣天之尾羽張(あめのおはばり)で殺してしまします。
迦具土神の血や死体からは多くの神が生まれました。
日本神話の神。出雲の国つ神大山祇神(おおやまつみのかみ)の子。妻は手摩乳(てなずち)。末娘の奇稲田姫(くしなだひめ)は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の妻となる。
日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。
日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から弓矢八幡として崇敬を集めました。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。
また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として神宮寺が祀られました。
第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。記紀には渡来人を用いて国家を発展させ、中世以降は軍神八幡神としても信奉されでいます。
大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。陵墓は大阪府羽曳野市誉田6丁目の恵我藻伏崗陵。
6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。
日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。