延暦7年(788年)に甲斐守である紀豊庭が諏訪の森に諏訪社を造営しました。その後、永禄4年(1561年)には武田信玄が現在の地に富士権現を造営したとされています。
また社伝によれば日本武尊が東方遠征の折に祠と鳥居を建てたのが始まりとされ、垂仁天皇の代には富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって木花開耶姫を祀ったとする説もあるようです。
一時荒廃していたものの元文3年(1740年)、富士講の行者であった村上光清が私財をなげうって拝殿、手水舎、神楽殿、随神門を建立再興したと言います。
大きな鳥居には三国第一山の神額が掲げられています。三国とは日本、唐、天竺を指すとされ木造りの鳥居では日本一と言います。
随神門には随神像が祀られています。右の随身像は老形の櫛磐間戸神、左の随身像の若形の豊磐間戸神と言います。
神門をくぐると極彩色の神楽殿、その左手には御手水社があります。ここの水は2kmほど程先の泉瑞から引かれているものです。この水を持ち帰る人もいるようで水汲みは禁止の立て札がありました。
拝殿の脇には富士太郎杉、富士夫婦檜と名付けられた御神木がそびえています。極彩色の拝殿には富士講などの奉納額や大きな天狗、烏天狗の面などが奉納されていました。
本殿の脇には東宮本殿と西宮本殿、裏には恵比寿社が祀られています。東宮本殿、西宮本殿は室町末期の建物で国の重要文化財に指定されています。
境内には諏訪神社が祀られていました。甲斐国志によると「浅間明神勧請セザル以前ヨリ諏方明神鎮座・・・」とされ浅間神社が勧請される前から祀られていた神社です。
参道には富士講に因んだ石碑が多く残っています。富士講は角行により創唱された富士信仰です。参道には角行が修業したとされる立行石がありました。
その後は村上光清や食行身禄によって富士講は発展しました。身禄は富士山の烏帽子岩で入定したと言います。八合目の山小屋元祖室近くには烏帽子岩神社のお社が建っています。その後、江戸八百八講と呼ばれるまで富士講は発展し、富士吉田はたくさんの御師宿でにぎわったと言います。
北口浅間神社から吉田登山道5合目までは登山道が開かれています。ネットなどでも紹介されているハイキングコースで、途中にはみそぎ所などの石碑や祠、神社などが多く点在するする歴史の登山道と言います。
日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
日本神話に登場する神。別名 和多志大神、酒解神。日本書紀は大山祇神、古事記では大山津見神と表記します。
古事記では、伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれました。日本書紀では伊弉諾尊が軻遇突智を斬った際に生まれたとしています。
八岐大蛇に登場する足名椎(あしなずち)、手名椎(てなずち)や木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)の父であり天津神(あまつかみ)に対する大地の国津神(くにつかみ)として登場する神様です。山をつかさどる神で、水の神、田の神としても信仰されています。
1521~1573年、戦国時代の武将。名は晴信。父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃に進出する。越後の上杉謙信と川中島で激戦を展開した。1572年、西上の途次三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康を破ったが翌年三河の陣中で病没。軍略家としてすぐれ信玄家法を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。
日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。
第10代の天皇(在位:前97年1月13日~前30年12月5日)開化天皇の皇子。記紀によれば四道(しどう)将軍を派遣して大和朝廷の領域を広げ国家の財政制度を確立したという。陵墓は奈良県天理市柳本町の山辺道勾岡上陵。実在が確かな最初の天皇とされされ以前の天皇を欠史八代と言う。
日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。
富士講の開祖とされる角行直系の指導者として江戸で富士講の布教に努め、後に村上派と呼ばれる一派をおこした。享保年間、私財を投じて、荒廃していた北口本宮冨士浅間神社を復興させる大事業をおこなったことで有名。
随神門に祀られる。俗に左大神(さだいしん)と呼ばれる。豊磐間戸命と合わせ天石戸別神(あめのいわとわけのかみ)。邇邇芸命(ににぎのみこと)が天照大神(あまてらすおおみかみ)の命をうけて日向の高千穂峰にくだる際、宮城の御門(みかど)の守護のためにしたがった。
江戸時代前期から中期の富士講行者。1671~1733年、江戸で油商として成功。実践倫理を重視する身禄派をおこす。身禄の世の到来を予言し富士山の烏帽子岩で断食入定(にゅうじょう)する。烏帽子岩の近くには八合目元祖室がある。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
古事記に登場する神で、伊邪那岐尊、伊邪那美命によって生み出された最後の神です。出産時に伊邪那美命の陰部に火傷ができ、これがもとで伊邪那美命は死んでしまいます。怒った伊弉冉尊は十拳剣天之尾羽張(あめのおはばり)で殺してしまします。
迦具土神の血や死体からは多くの神が生まれました。
日本神話の神。出雲の国つ神大山祇神(おおやまつみのかみ)の子。妻は手摩乳(てなずち)。末娘の奇稲田姫(くしなだひめ)は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の妻となる。
日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。
1530~1578年、戦国時代の武将。越後守護代長尾為景の子。景虎、政虎、輝虎と改名する。越後春日山城にあって北陸地方一帯を領有、小田原北条氏、甲斐武田氏と対抗した。特に武田信玄との川中島の戦いは有名。
1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。
第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。
第9代の天皇(在位:前158年11月12日~前98年4月9日)孝元天皇の第2皇子。皇居は大和春日率川宮(いさかわのみや)。 陵墓は奈良県奈良市油阪町の春日率川坂上陵。欠史八代の一人で実在性については諸説ある。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
随神門に祀られる。俗に左大神(さだいしん)と呼ばれる。豊磐間戸命と合わせ天石戸別神(あめのいわとわけのかみ)。邇邇芸命(ににぎのみこと)が天照大神(あまてらすおおみかみ)の命をうけて日向の高千穂峰にくだる際、宮城の御門(みかど)の守護のためにしたがった。