鎌倉六代将軍宗尊親王の命により藤原仲能が創建した古刹です。往時は七堂伽藍の大寺であったが鎌倉幕府の滅亡時に焼失ました。応永元年(1394年)に上杉氏定を開基とし心昭空外を開山として再興されたと伝えられています。
参道わきには底脱の井があります。鎌倉十井の一とされ安達泰盛の娘千代能が読んだとされる歌に由来するものと言います。
境内の奥には薬師堂があります。土間の堂内には薬師三尊が祀られその脇には十二神像が祀られていました。薬師如来坐像は鎌倉十三仏のひとつと言います。
境内の岩窟には十六の井があります。暗い洞窟の中に清水を湛えた16の丸穴があます。
正面には観音菩薩像と弘法大師像が祀られています。この丸穴水は井戸ではなく納骨穴とも考えられています。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
大正から昭和初期にかけて設定された観音霊場で、江戸時代に成立した鎌倉郡三十三箇所をベースにされている。鎌倉郡三十三箇所と異なり、廃仏毀釈により廃絶・移転してしまった寺も存在した事から23箇所の霊場が新たに加えられている。
1番 大蔵山杉本寺、2番 金龍山宝戒寺、3番 祇園山安養院、4番 海光山長谷寺、5番 満光山来迎寺、6番 錦屏山瑞泉寺、7番 岩蔵山光触寺、8番 飯盛山明王院、9番 稲荷山浄妙寺、10番 功臣山報国寺、11番 帰命山延命寺、12番 中座山教恩寺、13番 稲荷山別願寺、14番 随我山来迎寺、15番 円龍山向福寺、16番 内裏山九品寺、17番 南向山補陀洛寺、18番 天照山光明寺、19番 天照山蓮乗院、20番 天照山千手院、21番 普明山成就院、22番 霊鷲山極楽寺、23番 大異山高徳院、24番 亀谷山寿福寺、25番 泉谷山浄光明寺、26番 扇谷山海蔵寺、27番 若昇山妙高院、28番 巨福山建長寺、29番 蓮菜山 龍峰院、30番 福源山明月院、31番 金宝山浄智寺、32番 松岡山東慶寺、33番 円覚寺仏日庵
明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。