鎌倉三十三箇所の第18番札所です。かつては浄土宗の学問所である関東十八檀林の筆頭としての寺格を誇る大寺院でした。現在も建長寺、円覚寺、遊行寺と並ぶ、湘南四大寺に数えられる名刹です。
第四代執権、北条経時は仁治元年(1240)鎌倉に入った然阿良忠のために佐助ケ谷に一寺を開き蓮華寺と名付けました。
寛元元年(1243年)蓮華寺を現在の光明寺の地に移し、開山を然阿良忠(記主禅師)とし寺名を光明寺と改めたと伝えられています。
境内の大きな総門は関東随一の山門で、弘化4年(1847)に再建されたもの、楼上には釈迦三尊像、四天王像、十六羅漢像が安置されていると言います。
広大な境内に総門、山門のほかに本堂、開山堂、書院、方丈、庫裡、鐘楼などの大伽藍があります。
本堂は大殿とも呼ばれ、元禄11年(1698年)51世白玄上人の代に建立されたもの、運慶作とも伝えられる本尊阿弥陀如来坐像、脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像などが安置されています。
境内の網引寺地蔵は漁師の網に懸かり海から引き上げられたと伝えられるお地蔵さんです。背中の銘文に当寺第三世長老性正和尚が正和二年(1313)に供養した事が記され、冷泉為相によって造立されたとも伝えられています。
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。
阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。
大正から昭和初期にかけて設定された観音霊場で、江戸時代に成立した鎌倉郡三十三箇所をベースにされている。鎌倉郡三十三箇所と異なり、廃仏毀釈により廃絶・移転してしまった寺も存在した事から23箇所の霊場が新たに加えられている。
1番 大蔵山杉本寺、2番 金龍山宝戒寺、3番 祇園山安養院、4番 海光山長谷寺、5番 満光山来迎寺、6番 錦屏山瑞泉寺、7番 岩蔵山光触寺、8番 飯盛山明王院、9番 稲荷山浄妙寺、10番 功臣山報国寺、11番 帰命山延命寺、12番 中座山教恩寺、13番 稲荷山別願寺、14番 随我山来迎寺、15番 円龍山向福寺、16番 内裏山九品寺、17番 南向山補陀洛寺、18番 天照山光明寺、19番 天照山蓮乗院、20番 天照山千手院、21番 普明山成就院、22番 霊鷲山極楽寺、23番 大異山高徳院、24番 亀谷山寿福寺、25番 泉谷山浄光明寺、26番 扇谷山海蔵寺、27番 若昇山妙高院、28番 巨福山建長寺、29番 蓮菜山 龍峰院、30番 福源山明月院、31番 金宝山浄智寺、32番 松岡山東慶寺、33番 円覚寺仏日庵
法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。
明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。