鎌倉七口の1つである極楽寺坂切通しの近くにある古刹で、鎌倉では珍しい真言律宗の寺院です。
また極楽寺坂は新田義貞の鎌倉攻めにおいて幕府方の大仏貞直が陣を張り守備したところです。幕府方の防御が硬かったことから新田義貞は干潮を利用して稲村ヶ崎を突破したと伝えられています。
簡素な山門をくぐると桜並木の参道があります。観光地のお寺としては珍しく境内を含め撮影禁止になっていました。
鎌倉時代の初め、叡尊が興した真言系の律宗。奈良の西大寺が本山。1895年(明治28年)一宗として独立。
矢倉沢往還は江戸赤坂門から足柄峠を経て沼津宿へと結ぶ街道です。律令時代には足柄道として整備されていました。延暦噴火(800-802年)により一時通行が困難になり鎌倉時代には湯坂道が東海道の本道となりました。
仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。
はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。
大正から昭和初期にかけて設定された観音霊場で、江戸時代に成立した鎌倉郡三十三箇所をベースにされている。鎌倉郡三十三箇所と異なり、廃仏毀釈により廃絶・移転してしまった寺も存在した事から23箇所の霊場が新たに加えられている。
1番 大蔵山杉本寺、2番 金龍山宝戒寺、3番 祇園山安養院、4番 海光山長谷寺、5番 満光山来迎寺、6番 錦屏山瑞泉寺、7番 岩蔵山光触寺、8番 飯盛山明王院、9番 稲荷山浄妙寺、10番 功臣山報国寺、11番 帰命山延命寺、12番 中座山教恩寺、13番 稲荷山別願寺、14番 随我山来迎寺、15番 円龍山向福寺、16番 内裏山九品寺、17番 南向山補陀洛寺、18番 天照山光明寺、19番 天照山蓮乗院、20番 天照山千手院、21番 普明山成就院、22番 霊鷲山極楽寺、23番 大異山高徳院、24番 亀谷山寿福寺、25番 泉谷山浄光明寺、26番 扇谷山海蔵寺、27番 若昇山妙高院、28番 巨福山建長寺、29番 蓮菜山 龍峰院、30番 福源山明月院、31番 金宝山浄智寺、32番 松岡山東慶寺、33番 円覚寺仏日庵
明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。