鎌倉五山の第四位のお寺、五代執権北条時頼の菩提を弔うため夫人と子の師時が創建しました。また鎌倉七福神の布袋尊を祀るお寺です。
苔むした参道には寶所在近の扁額を掲げた山門が建っています。まだ梅の花も早い庭園を進むと書院の裏手に石窟があります。お腹をなでると元気をもらえるという布袋尊の石仏はその中にありました。
境内には上層が鐘楼となっている山門があります。その先には曇華殿の扁額を掲げる仏殿、室町時代の作という阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来が祀られていました。
浄智寺には高峰顕日や夢想礎石らの名僧が住持し、最盛期には七堂伽藍を備え塔頭も11寺院に達したと言います。その規模も天柱峠のすぐ下まであったようで現在の円覚寺に近いものがあったと思われています。
浄智寺は鎌倉三十三観音霊場の正観音を祀るお寺です。ここを訪れたのは海蔵寺を参拝してからで、源氏山のハイキングコースをたどる尾根道を通り浄智寺に抜けようとしましたが道は見つからず化粧坂から葛原神社を越え浄智寺に向かいました。
境内の中央には阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒菩薩、観音菩薩、地蔵菩薩の諸仏が奉安されている仏殿があります。境内の奥の岩穴には七福神の布袋尊が祀られています。大きなおなかは参拝の人が撫ぜたためか黒く光っていました。
納経所に立ち寄り納経です。最近は御朱印が流行りのようで、若い女性が納経をしています。また境内は写生のポイントのようで、数人のお年寄りがスケッチブックに絵筆を走らせていました。
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。
阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。
仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。
はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。
鎌倉市・藤沢市にある8箇所の社寺から構成される七福神めぐりの札所。
浄智寺(布袋尊)、鶴岡八幡宮(旗上弁財天)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、本覚寺(夷尊神)、長谷寺(大黒天)御霊神社(福禄寿)江島神社(江島弁財天)
大正から昭和初期にかけて設定された観音霊場で、江戸時代に成立した鎌倉郡三十三箇所をベースにされている。鎌倉郡三十三箇所と異なり、廃仏毀釈により廃絶・移転してしまった寺も存在した事から23箇所の霊場が新たに加えられている。
1番 大蔵山杉本寺、2番 金龍山宝戒寺、3番 祇園山安養院、4番 海光山長谷寺、5番 満光山来迎寺、6番 錦屏山瑞泉寺、7番 岩蔵山光触寺、8番 飯盛山明王院、9番 稲荷山浄妙寺、10番 功臣山報国寺、11番 帰命山延命寺、12番 中座山教恩寺、13番 稲荷山別願寺、14番 随我山来迎寺、15番 円龍山向福寺、16番 内裏山九品寺、17番 南向山補陀洛寺、18番 天照山光明寺、19番 天照山蓮乗院、20番 天照山千手院、21番 普明山成就院、22番 霊鷲山極楽寺、23番 大異山高徳院、24番 亀谷山寿福寺、25番 泉谷山浄光明寺、26番 扇谷山海蔵寺、27番 若昇山妙高院、28番 巨福山建長寺、29番 蓮菜山 龍峰院、30番 福源山明月院、31番 金宝山浄智寺、32番 松岡山東慶寺、33番 円覚寺仏日庵
法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。
仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。
はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。
明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。