長谷寺は板東三十三観音霊場の4番札所です。寺伝によれば、736年(天平8年)、大和の長谷寺の開基でもある僧徳道を藤原房前が招請し十一面観音像を本尊として開山したと伝えられています。
本尊の十一面観音は奈良長谷寺の十一面観音と同じ楠で造られた2体の観音像の一つで、1体を祈願ののち海に流したところ15年後に相模の国に流れ着きこの地に安置されたと言われています。
また長谷寺は鎌倉七福神の大黒天を祀るお寺です。出世大黒天の扁額を掲げるお堂の脇にはなで大黒が微笑みかけていました。
木造では日本最大のと言われる十一面観音像が祀られれる長谷寺は坂東三十三観音霊場4番札所でのお寺です。四季おりおり花が咲くお寺としても知られいつもたくさんの参拝客でにぎわっています。
境内は紅葉の見頃でたくさんの観光客が訪れていました。急な石段の途中にはたくさんのお地蔵さまが祀られた地蔵堂があります。
石段の上は鎌倉の海が開ける広場で、大きな観音堂に中には見上げる十一面観音が祀られています。その右手には阿弥陀堂、左手には大国堂が建っていました。
放生池の奥には弁天堂があります。その奥には弘法大師が参籠したと伝えられる弁天屈があります。暗い石洞の中には琵琶を手にする出世弁財天とそれを取り巻く十六童子が祀られていました。
大正から昭和初期にかけて設定された観音霊場で、江戸時代に成立した鎌倉郡三十三箇所をベースにされている。鎌倉郡三十三箇所と異なり、廃仏毀釈により廃絶・移転してしまった寺も存在した事から23箇所の霊場が新たに加えられている。
1番 大蔵山杉本寺、2番 金龍山宝戒寺、3番 祇園山安養院、4番 海光山長谷寺、5番 満光山来迎寺、6番 錦屏山瑞泉寺、7番 岩蔵山光触寺、8番 飯盛山明王院、9番 稲荷山浄妙寺、10番 功臣山報国寺、11番 帰命山延命寺、12番 中座山教恩寺、13番 稲荷山別願寺、14番 随我山来迎寺、15番 円龍山向福寺、16番 内裏山九品寺、17番 南向山補陀洛寺、18番 天照山光明寺、19番 天照山蓮乗院、20番 天照山千手院、21番 普明山成就院、22番 霊鷲山極楽寺、23番 大異山高徳院、24番 亀谷山寿福寺、25番 泉谷山浄光明寺、26番 扇谷山海蔵寺、27番 若昇山妙高院、28番 巨福山建長寺、29番 蓮菜山 龍峰院、30番 福源山明月院、31番 金宝山浄智寺、32番 松岡山東慶寺、33番 円覚寺仏日庵
鎌倉市・藤沢市にある8箇所の社寺から構成される七福神めぐりの札所。
浄智寺(布袋尊)、鶴岡八幡宮(旗上弁財天)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、本覚寺(夷尊神)、長谷寺(大黒天)御霊神社(福禄寿)江島神社(江島弁財天)
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
弁財天に従う眷属、善財童子を加えて十六童子と呼ばれることもある。
印鑰童子(いんやくどうじ)、官帯童子(かんたいどうじ)、筆硯童子(ひっけんどうじ)、金財童子(こんざいどうじ)、稲籾童子(とうちゅうどうじ)、計升童子(けいしょうどうじ)、飯櫃童子(はんきどうじ)、衣裳童子(いしょうどうじ)、蚕養童子(さんようどうじ)、酒泉童子(しゅせんどうじ)、愛敬童子(あいきょうどうじ)生命童子(しょうみょうどうじ)、牛馬童子(ぎゅうばどうじ)、船車童子(せんしゃどうじ)、善財童子(ぜんざいどうじ)
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。