長谷寺(長谷観音) 


 寺社の種類:浄土宗系統の単立寺院
 山号:海光山
 創建の時期:天平8年(736年)、藤原房前が開基と伝えられる
 本尊:十一面観音
 所在地:神奈川県鎌倉市長谷3丁目
 訪問日:2015年1月24日、2013年12月13日

 

 2015年1月24日 訪問

長谷寺は板東三十三観音霊場の4番札所です。寺伝によれば、736年(天平8年)、大和の長谷寺の開基でもある僧徳道を藤原房前が招請し十一面観音像を本尊として開山したと伝えられています。

本尊の十一面観音は奈良長谷寺の十一面観音と同じ楠で造られた2体の観音像の一つで、1体を祈願ののち海に流したところ15年後に相模の国に流れ着きこの地に安置されたと言われています。

長谷寺の山門
山門脇に案内板
境内の妙智池
山門を振り返り
卍池
地蔵堂
西国秩父坂東参詣供養塔
観音堂
長谷観音の扁額
観音堂
釈迦堂は工事中
かきがら稲荷
かきがら稲荷
弁天堂
大黒天堂
なで大黒天
弁天窟
弁天窟
弁天窟
わみ地蔵

また長谷寺は鎌倉七福神の大黒天を祀るお寺です。出世大黒天の扁額を掲げるお堂の脇にはなで大黒が微笑みかけていました。

 

 2013年12月13日 訪問

木造では日本最大のと言われる十一面観音像が祀られれる長谷寺は坂東三十三観音霊場4番札所でのお寺です。四季おりおり花が咲くお寺としても知られいつもたくさんの参拝客でにぎわっています。

長谷寺の山門
山門の前に十一面観音とお地蔵さん
紅葉が進む石段
石段の途中に卍池

境内は紅葉の見頃でたくさんの観光客が訪れていました。急な石段の途中にはたくさんのお地蔵さまが祀られた地蔵堂があります。

たくさんのお地蔵さんをめぐらせる地蔵堂
本堂の脇に阿弥陀堂
十一面観音を祀る観音堂
出世大黒天の扁額を掲げる大黒堂
広い境内
境内に経堂
眺望散策路への石段
散策路はアジサイの名所

石段の上は鎌倉の海が開ける広場で、大きな観音堂に中には見上げる十一面観音が祀られています。その右手には阿弥陀堂、左手には大国堂が建っていました。

参道にたくさんのお地蔵さん
境内の鐘突き堂
放生池をめぐる庭園
弁天窟の傍に弁天堂
琵琶を手にする出世弁財天
暗闇の中にたくさんの石像
暗闇の中にたくさんの石像
暗闇の中にたくさんの石像

放生池の奥には弁天堂があります。その奥には弘法大師が参籠したと伝えられる弁天屈があります。暗い石洞の中には琵琶を手にする出世弁財天とそれを取り巻く十六童子が祀られていました。

関連記録・コース

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 准胝観音(じゅんていかんのん)

六観音または七観音の一つで除災、治病、延命、求児の諸願をかなえるという。三目一八臂、頭上に仏面は無いがのが特徴とされている。

 

 鎌倉三十三観音霊場(かまくらさんじゅうさんかんのんれいじょう)鎌倉観音霊場(かまくらかんのんれいじょう)

大正から昭和初期にかけて設定された観音霊場で、江戸時代に成立した鎌倉郡三十三箇所をベースにされている。鎌倉郡三十三箇所と異なり、廃仏毀釈により廃絶・移転してしまった寺も存在した事から23箇所の霊場が新たに加えられている。

1番 大蔵山杉本寺、2番 金龍山宝戒寺、3番 祇園山安養院、4番 海光山長谷寺、5番 満光山来迎寺、6番 錦屏山瑞泉寺、7番 岩蔵山光触寺、8番 飯盛山明王院、9番 稲荷山浄妙寺、10番 功臣山報国寺、11番 帰命山延命寺、12番 中座山教恩寺、13番 稲荷山別願寺、14番 随我山来迎寺、15番 円龍山向福寺、16番 内裏山九品寺、17番 南向山補陀洛寺、18番 天照山光明寺、19番 天照山蓮乗院、20番 天照山千手院、21番 普明山成就院、22番 霊鷲山極楽寺、23番 大異山高徳院、24番 亀谷山寿福寺、25番 泉谷山浄光明寺、26番 扇谷山海蔵寺、27番 若昇山妙高院、28番 巨福山建長寺、29番 蓮菜山  龍峰院、30番 福源山明月院、31番 金宝山浄智寺、32番 松岡山東慶寺、33番 円覚寺仏日庵

 

 鎌倉・江の島七福神

鎌倉市・藤沢市にある8箇所の社寺から構成される七福神めぐりの札所。

浄智寺(布袋尊)、鶴岡八幡宮(旗上弁財天)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、本覚寺(夷尊神)、長谷寺(大黒天)御霊神社(福禄寿)江島神社(江島弁財天)

 

 十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

六道を教化する六観音の一つ。11の顔と2臂または4臂をもった姿の観音。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 弁財十五童子(べんざいじゅうごどうじ)弁財十六童子(べんざいじゅうろくどうじ)

弁財天に従う眷属、善財童子を加えて十六童子と呼ばれることもある。

印鑰童子(いんやくどうじ)、官帯童子(かんたいどうじ)、筆硯童子(ひっけんどうじ)、金財童子(こんざいどうじ)、稲籾童子(とうちゅうどうじ)、計升童子(けいしょうどうじ)、飯櫃童子(はんきどうじ)、衣裳童子(いしょうどうじ)、蚕養童子(さんようどうじ)、酒泉童子(しゅせんどうじ)、愛敬童子(あいきょうどうじ)生命童子(しょうみょうどうじ)、牛馬童子(ぎゅうばどうじ)、船車童子(せんしゃどうじ)、善財童子(ぜんざいどうじ)

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

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