田原の滝駐車場8:55~楽山競技場トイレ9:10/20~ミツマタ群生地9:30/35~尾崎山分岐10:00/10~都留アルプス山10:20~楽山公園分岐10:40~590m付近10:45/11:20~有愛の森~元坂水道橋11:30~天神山11:35~鍛冶屋坂水道橋11:50~パノラマ展望台12:20~長安寺山12:35~白木山~円通院分岐12:50~円通院13:10~谷村城址13:30~谷村町駅13:40
山の会の仲間との山行は都留アルプス、3月末には都留市が主催する都留アルプスフリーハイキングが開催されるところです。
前回このコースを歩いたときは谷村発電所側から田原の滝へと歩きましたが、今回は田原の滝から逆コースを歩くことにしました。
田原の滝の駐車場に車を停め都留市総合運動公園沿いの舗装道路を登って行きます。エドヒガンでしょうか道端には早咲きの桜の花が開き始めていました。
檪山競技場近くのトイレ脇から登山道が始まります。杉林の中の暗い道を登るとミツマタの群生地です。桃の節句を過ぎてからは寒い日が続き、早かった春の便りも足ふみをしています。目の前のミツマタもまだ色づき始めたばかりといったところです。
暗い杉林の中を緩やかに登って行くと尾崎山への分岐、ここからは強い風が吹き抜ける尾根歩きです。木立の先に展望が広がるところが都留アルプス山、目の前には九鬼山、右手に目を移すと道志二十六夜山が見えているようです。
緩やかに下って行くと展望が広がる分岐、電波塔を頭にのせる三ッ峠山から続く稜線に本社ヶ丸、山腹をめぐる林道が目立つのは鶴ヶ鳥屋山です。滝子山から続く稜線には500円札の裏に描かれる雁ヶ腹摺山、その手前には高川山を見付けることができました。
ここは楽山公園から登ってくる道を左から合わせるところです。目の前の斜面は千本桜植栽地で、十年もすると桜の花を楽しみながらのハイキングができるところでしょう。
相変わらず強い風が音を立てながら吹き抜けています。有愛の森手前の明るい草地に腰を下ろし少し早い昼食にしました。
目の前には枝先にたくさんの花を付けた杉の大木、風が吹き抜けるたびに花粉を巻き上げるのが見えます。辛い花粉の時期が早く過ぎてしまうことを願うばかりです。
有愛の森からわずかに下ると元坂、この峠には水道橋があります。山中湖から上野原の松留発電所までの発電用水路が明治から大正にかけて作られたと言います。
元坂にかかるアーチ橋はピーヤと呼ばれる水道橋、この水路により桂川水系八か所の発電所が稼働しているようです。
元坂から上り返すと天神山、雑木林の明るい登山道を歩くと鍛冶屋坂の水道橋です。かつては道志の秋山から材木や木炭を運んでいた峠道であったようで大室神社の傍にはたくさんの石仏が祀られていました。
鍛冶屋坂からは急な登り返し、息を切らせながら登って行くとパノラマ台です。目の前には都留文科大学、その先は尾崎山や倉見山の頂が続いていました。
明るい雑木林の尾根には長安寺山や白木山、蟻山への登り返しの途中に円通院への分岐があります。ここから道を左に、あまり人が歩いていない急な坂道は少し荒れ気味でした。
円通院は曹洞宗の古刹でかつて谷村を治めた秋山氏ゆかりのお寺と言います。境内には都留市の文化財に指定された梵鐘がありました。
都留の市内を流れる谷中川は谷村城下の飲料水や灌漑用水として谷村の人々の暮らしを支えた用水路です。
その途中には都留市が設置している小水力発電「元気くん2号」がありました。この時は水車が回っていませんでしたが今も現役で発電を行っているようです。
谷村小学校の校庭には谷村城址の石柱が立っていました。戦国時代の武将小山田氏の居城で柄杓流川の対岸にそびえる勝山城は谷村城の詰めの城と言います。
織田信長の甲斐侵攻により武田氏とともに小山田氏も滅亡、そののち加藤氏、浅野氏、鳥居氏と城主が変わり江戸時代には徳川家康の側近秋元氏が上州惣社から転封、谷村城下町が整備されたと言います。
谷中川の流れに沿って歩くとほどなく谷村町駅、30分ほどの待ち合わせで富士急の電車で車を置いた十日市駅に戻ることにしました。やってきた電車はトーマスのキャラクターが描かれています。車内はたくさんの外国からのお客さんで賑わっていました。富士山は外国の観光客にとって人気のところです。
ホームには都留市二十一秀峰案内板がありました。三ツ峠や高川山、九鬼山などのほか勝山城がある城山、あまり馴染みのない文台山も二十一秀峰に数えられていました。