尾瀬ヶ原の西側にそびえる至仏山の山頂に足跡を刻んだのは6年前。鳩待峠から至仏山の山頂に登ったのち、広い尾瀬ヶ原を通リ抜け尾瀬沼へ。長蔵小屋で一夜を過ごした翌日、長英新道から燧ヶ岳を目指しました。しかし途中で滝のような激しい雨に見舞われ、ミノブチ岳の直下で登頂を諦めた記憶が残っています。その時から燧ヶ岳は、何時の日か再チャレンジしたい山の一つになっていました。
燧ヶ岳への登山道にはその時利用した長英新道のほか、見晴新道、温泉小屋道、沼尻からの道、これに今回利用する御池からの道が開かれています。この御池コースは尾瀬の中でも屈指の美しいコースと言われています。コースは御池の駐車場から始まる一本道ですが、残雪期には沢に迷い込みやすい不明瞭な個所もあると言います。
登山道は広い駐車場の奥から始まります。この道は燧裏林道といわれる道で、三条ノ滝を経て見晴十字路へと続く道です。燧ヶ岳への登山道はすぐ左手に折れ、いきなり急な坂道が始まります。木の根や岩が露出した山道は数日前からの雨水を含み、登山靴もすぐに泥だらけになってしまいました。
やがて目の前の視界が開けてくると広沢田代の湿原です。ワタスゲの白い穂が風になびく湿原には幾つかの池塘が水をたたえ、湿原の緑を朝の水面に映しています。
広沢田代からは木道をたどり熊沢田代へ向かうことにします。登山道はすぐに急な坂道となります。木の根や岩角につかまりながらの急な登り坂に息もすぐに上がってしまいそうです。
やがて視界が開けてくると熊沢田代です。広く開けた湿原には木道が続き、目の前には大きな燧ヶ岳がその姿を見せてくれました。白いワタスゲの穂綿が風に揺れる湿原の中には大きな池塘が二つ。静まり返った水面に岸辺の緑を映し、尾瀬の中で一番美しいと言われるのも納得できる景色です。
目の前に広がる南会津の山々はどれも始めて見る山。どの山が何と言う山なのかはなかなか判らないものです。目の前の小さな頂は大杉岳。その奥に霞むのは会津駒ヶ岳でしょうか。左手の霞みの中には関越国境の平ヶ岳も霞んでいるようですが、その姿を見つけることはできませんでした。
ここから登山道は斜面を斜めに登って行きます。しばらく登ると登山道は雪渓に覆われた大きな沢にたどり着きました。すでに7月になると雪渓もくさり始め、適度にスプーンカットも残っています。雪渓を登りつめることおよそ250メートル。ここからは左手の尾根を巻くように登山道が続いています。登山道の脇には登山コースの案内をした指導標が立っていましたが、残雪期には雪渓を下リ過ぎ、沢に迷い込む事故が起きているのも頷けそうな所です。
やがてハイマツが目立ち始めた稜線を登って行くと山頂直下の岩が露出した稜線です。爆裂火口の火口壁という赤茶けた岩壁を右手に眺めながらひと登りすると、小さな祠の建つ爼嵓の山頂にたどり着きました。目の前には青く水をたたえた尾瀬沼。その上には日光の山々が頭を持ち上げています。しかし沸き上がる夏雲に覆われ、その姿を見せてくれたのは日光白根山まで。男体山や女峰山などは霞みの中にその姿を隠していました。振り返ると会津駒ヶ岳など南会津の山々が広がっていました。
爼嵓からは露岩の急坂を下って柴安嵓に向かうことにします。降り立った鞍部から急坂を登り返すと柴安嵓の山頂です。目の前には尾瀬ヶ原が広がっています。その上に霞んでいるのは至仏山。さらに左手の雲の中には武尊山の長い尾根が霞んでいました。
柴安嵓の山頂で昼食の後、ひとまず尾瀬沼に下ることにします。柴安嵓から一度鞍部に下り、登り返した爼嵓の山頂で小休止です。
山頂での展望を楽しんだ後、急な坂道を下りミノブチ岳に向かいます。急な下りというより岩場に近い道は、固定ロープが欲しそうなところです。たどり着いたミノブチ岳は広く開けた尾根上のコブで、大きなケルンが建っています。目の前には青い水をたたえた尾瀬沼が広がっています。振り返ると岩が露出した急坂の先に爼嵓がそびえていました。
ミノブチ岳からは長英新道を下って尾瀬沼へ。登山道は雨水に深く抉られ、大きな木の根元では深い段差ができています。しばらく急な坂道を下っていくと登山道は針葉樹の林の中をたどるようになります。徐々に勾配も緩やかになってきますが、それに連れ水溜りや泥濘が登山道を覆うようになってきました。いずれにせよあまり歩きやすいとは言えない下りです。やがてほとんど平らになった登山道を進むと広く開けた浅湖湿原です。
浅湖湿原からは道を左に。たくさんのハイカーが行き交う木道をしばらく進むと尾瀬沼の長蔵小屋です。幾つかの山小屋の建つこの一角にはビジターセンターもあり、たくさんのハイカーで賑わっていました。
沼山峠までゴミを下ろしに行って来たという若者はビジターセンターの職員。話によると尾瀬沼までの荷揚げは専用の索道を利用しボッカは行っていないとか。しかし週に1、2度、自分達の出したゴミなどを沼山峠まで下ろしに行くと言います。「尾瀬ヶ原の山小屋ではまだボッカに頼っている。彼らは100キロほどの荷物を担いでいる・・・」。このような話を聞くと、山小屋での清涼飲料水の値段が高いのも納得ができるものです。
尾瀬沼からは沼山峠へ向かうことにします。広く開けた大江湿原の木道を緩やかに登っていくとやがて沼山峠です。振り返るとアオモリトドマツの梢の先に尾瀬沼の青い湖面が広がっていました。ここから暗い林の中を下っていくと程なく沼山峠の休息所にたどり着きました。
広沢田代の湿原を彩る花はワタスゲ、イワカガミ、ゴゼンタチバナ、マルバノモウセンゴケなど。ピンクの小さな花を付けた潅木はヨウラクツツジでしょうか。湿原の中に目を落とすとタテヤマリンドウやヒメシャクナゲなども小さな花を付けていました。夏山でお馴染みのチングルマはすでに穂綿の時期を迎えていました。
尾瀬沼の手前に広がる大江湿原には、この時期目立った花は咲いていません。湿原の夏の花であるヒオウギアヤメも、紫色の花を付けたのは木道のそばで見付けた1本だけ。尾瀬の代名詞であるニッコウキスゲも青い蕾を風に揺らしているだけでした。