東京都新宿区高田馬場にある神社です。高田馬場、西早稲田、大久保、新宿7丁目、百人町4丁目、下落合の総氏神で8月の例大祭・お諏訪さまの日には境内には屋台が店を出し、御神輿が練り歩き高田馬場の夏の風物詩となると言います。
諏訪神社の案内によると創建は、弘仁年中(西暦810~820)小野篁朝臣が、大国主命、事代主命を祭祀すと云われます。奥羽街道の一部松原街道に面しておりましたので、松原神社と称されておりました。
永承年中(西暦1046~1053)源頼義、義家父子が陸奥の国の阿倍氏反乱(前九年の役)鎮定の折、当社に祈願 せられ、凱陣の節には武器を納められました。江戸時代初期に、尾張の徳川家の祖である徳川義直公が、信濃国の諏訪神を勧請し、当社に合祀せられ、現在の諏訪神社と改称致しました。
寛永年中(西暦1624~1644)将軍徳川家光公が造営せられ、続いて家綱公が当時当社近隣地域は鷹狩りの名所でありましたので手鷹を奉納され、 これより老鳥は代々当社へ奉納することになりました。 又これにちなみ、鷹狩りの絵馬が数多く奉納されるようになり、今でも新宿区内随一多数の貴重な絵馬が神社に保存されております。
日本神話に登場す神様、大国主命の子。武甕槌神(たけみかづちのかみ)らが葦原の中つ国の国譲りを大国主命に迫ったとき、武甕槌神と力比べを行ったが敗れて信濃諏訪湖に逃れ、この地から出ないと誓った。諏訪大社の祭神です。
出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。
大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。
出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。
大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。
日本神話に登場する神様。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生した神です。国譲りでは経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣されます。また神武東征においても、天皇の危難を救ったとされる神です。島神宮祭神です。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。
大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。