諏方神社 


 寺社の種類:旧村社
 創建の時期:建久3年(1192年)
 御祭神:建御名方命
 本殿の形式:ー
 境内社:末廣稲荷神社、銭降稲荷神社、三宝荒神社、三峰神社
 所在地:東京都荒川区西日暮里3丁目4ー8
 訪問日:2025年1月24日

 

東京都荒川区西日暮里にある神社です。諏方神社の御由緒によると、元久2年の創立で、豊島左衛門尉経泰が勧請。文安年間に太田道灌神領を寄進し、徳川時代神領を賜わり、寛永12年社殿を現在の地に御遷座し、明治になり日暮里・谷中の総鎮守の神社として名高く、8月の大祭には百軒近く露店が並ぶとされています。

諏方は古来の神社名の表記であり、かつては諏方の方が多かった。現在は全国で一万有余あるなか諏方を使うのは3~4社のみになったと言います。

境内には「れ組」の石柱が目立ちます。江戸の町火消し48組でれ組は根津付近を担当していたとか。

拝殿の脇には御嶽山大神、三笠山大神、八海山大神の石碑が祀られています。反対側には三峰山神社、三宝荒神社が祀られていました。三宝荒神は仏・法・僧の三宝を守護するという神。三面六臂で怒りの形相を示す。不浄を忌み、火を好むというところから、近世以降かまどの神として祭ると言います。

諏方神社の石鳥居
諏方神社の案内板
境内に神輿蔵
神楽殿
御手水場
石段の上に拝殿
諏方神社の拝殿
拝殿の内部
御嶽山・八海山・三笠山大神
三宝荒神社
三峰山神社

 

《諏訪神社》荒川区教育委員会

信濃国(長野県)上諏訪社と同じ建御名方命を祀る。当社の縁起によると、元久2年(1205)、豊島左衛門尉経泰の造営と伝える。江戸時代、三代将軍徳川家光に社領5石を安堵され、日暮里・谷中の総鎮守として広く信仰をあつめた。

旧暦7月27日の祭礼では、囃屋台・山車をひきみこし神輿渡御が行われた。神田芋洗橋までがつぎ、そこから船で浅草・隅田川を経て、荒木田の郷で御神酒をそなえて帰座したと伝えている。

拝殿の脇には元禄12年(1699)銘・元禄14年(1701)銘の灯籠型の庚申塔が並んで建てられている。

 

 その他のコース・山行記録


 

 建御名方神(たけみなかたのかみ)

日本神話に登場す神様、大国主命の子。武甕槌神(たけみかづちのかみ)らが葦原の中つ国の国譲りを大国主命に迫ったとき、武甕槌神と力比べを行ったが敗れて信濃諏訪湖に逃れ、この地から出ないと誓った。諏訪大社の祭神です。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 武甕槌神・建御雷神(たけみかづちのかみ)

日本神話に登場する神様。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生した神です。国譲りでは経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣されます。また神武東征においても、天皇の危難を救ったとされる神です。島神宮祭神です。

 

TAG:諏訪神社
 訪問者数 今月:17件
 Back