鶴巻温泉駅9:10~吾妻山9:55/10:05~善波峠10:45~弘法山11:15/12:20~権現山12:50/13:30~命徳寺14:20~秦野駅14:40
2月に入ると暖かい日が続いています。梅の花はすでに満開、河津桜の花も咲き始めています。温暖化の影響なのか今年の春は足早に訪れようとしているようです。
久しぶりの山の会の仲間との山行は軽い弘法山から権現山のハイキングです。集合は小田急の鶴巻温泉駅、駅前には我々と同じように弘法山を目指す若者が仲間を待っていました。
駅前にはヤドカリのオブジェ、タイトルは「宿借り」とか、温泉の宿と結び付けているのでしょうか。ここ鶴巻温泉は東京の奥座敷として陣屋や大和旅館などの温泉旅館で知られたところです。大正時代に湯治客の温泉として開かれ昭和に入り小田急線が開業すると多くの人でにぎわったと言います。
古い石仏などが祀られた町の中を迷いながら進むと東名高速の高架下、これをくぐると弘法山の登山口です。急な坂道を一登りすると「弘法山ハイキングコース」と書かれた道標です。
ここからは雑木林の明るい尾根歩きが始まります。道端にはスイセンの花、今年は山の季節も早く進んでいるようでウグイスカグラやオニシバリの花を見付けることができます。
ミズナラの木が伐採されていました。弘法山周辺ではカシノナガキクイムシによるナラ枯れが発生しているようで、感染した木を伐採する作業が行われているようです。
緩やかに尾根道を登って行きます。曇り空ですがたくさんの人が歩いています。コースが短いこともあり、すでに弘法山方向から下ってくる人にも出会います。
ベンチのある広場は吾妻山、古事記にも語り継がれる日本武尊が弟橘媛(おとたちばなひめ)を偲んだところと言います。曇った空の下からは霞んだ江ノ島、その先は大楠山など三浦半島の稜線のようです。
雑木林をたどる登山道は関東ふれあいの道です。しばらく歩くと案内板が建つ分岐です。右手の道は矢倉沢往還の善波峠を通り大山南尾根へと続く道です。
善波峠は古い石仏が祀られた切通、矢倉沢往還をたどった旅人が通ったところです。左手の坂道を登って行くと「御夜燈」と書かれた石灯篭が立っていました。
明かるい尾根道を弘法山へ、山頂直下の木の階段を登って行くと釈迦堂が建つ弘法山の山頂です。ここは弘法大師の伝説が残るところ、広場には弘法の乳の水井戸があり今も水をくみ上げることができると言います。
釈迦堂は山麓の龍法寺と深い関係があるとされ、鐘楼は龍法寺の鐘を再鋳したものと言います。しかし釈迦堂の縁起について詳しいことは判っていないようです。
山頂はたくさんの人で賑わっています。まだお昼には少し早いようでしたが山頂のテーブルで山鍋です。メニューはテレビでも紹介されていた焼き芋のほうとう。カボチャのほうとうは山梨でお馴染みですが、焼き芋は煮る時間も短く山鍋には便利なメニューです。
もう春と思い寒冷地用のガスボンベを持っていかなかったこともあり、寒い山頂では鍋が煮えるまでに少し時間がかかってしまいました。
ここからは曇り空の下に湘南の海岸線が見え隠れしています。江ノ島の先は三浦半島の山々、それから続く山並みには房総の山が続いるようですが背丈の低いその山頂を同定するのは中々難しいものがあります。
弘法山からは権現山に向かうことにします。緩やかに階段を下って行くと馬場道、1ケ月もすると桜の花が遊歩道に沿って咲き競うところです。近くに駐車場もあることから軽いハイキングに訪れた軽装の若者の姿も目立つところです。
階段を上り返すと大きな展望台が建つ権現山の山頂です。階段を上ると360度の展望、目の前には箱根山から金時山、矢倉岳、大野山の頂が広がっています。
晴れていれば大きな富士山も眺めることができるようですがあいにく雲にその姿を隠していました。振り返ると大きな大山とそれから続く南尾根、ヤビツ峠の先は三ノ塔から続く表尾根の山々です。
これからは目の前の秦野駅へと下って行くだけです。広い展望を楽しみながら山仲間と山談義に花を咲かせました。
展望台からは急な階段の下りです。ここもまた関東ふれあいの道でよく整備されているもののなかなか疲れる下りです。しばらく下ると舗装道路、これを超えると浅間山です。
浅間山からの先もまた急な下りです。ジグザグは切っているものの秦野側から権現山に登るのは少しきついかもしれません。
たどり着いた秦野の市街、水無川に沿ってしばらく歩くと秦野駅です。ここはヤビツ峠や大倉尾根へのバスが出発する登山者にはおなじみの駅でした。
日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。