別所梅園11:30-(0h40m)-六本松址12:10-(0h20m)-252m付近12:30/45-(0h25m)-不動山13:10/15-(0h10m)-曽我山13:25-(0h10m)-浅間山手前の分岐13:35-(0h30m)-法輪寺14:05、大光院14:10、宗我神社14:20/25-0h15m-東光院14:40/45-0h10m-別所梅園14:55
曽我の里は梅の香りに包まれています。先週の大雪で開花が遅れていたようで梅まつりも3月初めまで続けられるようで、赤や白の梅の花に包まれる園内はたくさんの花見客で賑わっていました。
たくさんの人の波に押されるように梅園の中を進むと富士山のビューポイント、ガイドブックなどにも紹介されているところのようです。しかし箱根の山並みは見えるものの富士山は雲の中です。
別所梅林の駐車場に車を停め曽我の山里をめぐるハイキングコースを歩くことにします。
県道を越えると法蓮寺です。千葉山(せんようざん)の扁額を掲げる寺は天台宗の古刹、寺の墓地には曽我兄弟の母、満江御前の墓があります。風化が進んだ自然石の墓は文字を見分けることもできません。
ここからはジグザグを切りながら急な舗装道路を登って行きます。国府津駅から歩いてきたのか初老のハイカーの一団が下りてきました。
視界が開けると展望所です。振り返ると曽我梅園の先に箱根の山並みがそびえています。大きな山頂は神山、二子山や明神ヶ岳、金時山などの頂を見付けることができます。先週の雪で山肌はまだ真っ白な雪に包まれていました。
ここからは明るい稜線の上をたどる農道です。左手に大きな電波塔を眺めながら舗装道路を登って行くと六本松址の石碑がありました。案内板によると古代にはこの周辺は師長(しなが)国造が支配してきたところで西からの旅人はこの峠を通って板東を目指したと言います。すでに六本松は枯れてしまったようですが古い石碑と案内板が歴史の跡を伝えてくれます。
ここからは忍石に向かいます。右手には大磯の街並みと相模湾、その先には霞んだ房総の山並みが見えていました。
忍石は曽我物語に登場する悲話の舞台で仇討に旅立つ曽我十郎と虎御前が別れのひと時を過ごしたところと言います。小さなお堂には忍石と石仏が祀られていました。
この先の道は打越へ下って行く道です。梅畑の急斜面を登って行くと電波塔の建つ舗装道路の分岐にたどり着きました。所々に道標などが建っていますが道が入り組む里山は判りにくいところです。GPSを持ち歩いているにもかかわらずとんだ道間違いをしてしまいそうです。
舗装道路をしばらく住むと暗い雑木林を登って行く山道です。息を切らせながら登る急坂は不動山の山頂を巻いて行きます。小さな道標を左に折れ急坂を登ると暗い不動山の山頂にたどり着きました。山頂を示す道標と土に埋もれた三角点があります。しかし標石が棄損しているのか石面には三角点の文字も見えず十字マークも見当たりません。
不動山からしばらく進むと明るい山道歩きです。標高はあまり高くないものの先週の雪が残っているところもあります。電波塔の建つ目立たないピークが323mの標高点である曽我山です。
やがて緩やかに下って行った山道は古怒田と曽我を結ぶ峠にたどり着きます。ここから先は浅間山、いこいの村を経て上大井に向かう道が続いていますが我々は車を停めた別所梅林に戻ることにしました。
舗装道路をしばらく下るとみかん畑の中を下る急な坂道です。すでに収穫も終わっているようで畑の中には刈り残ったみかんが落ちていました。
集落が近付いてくると法輪寺です。ここもまた曽我氏ゆかりのお寺です。境内には不動明王を中心にした六地蔵、瑠璃光堂には薬師三尊が祀られていました。
道を間違いながらたどり着いた宋我神社は曽我の里の総鎮守の社です。広い境内には正面に拝殿、梅の里に因んでか狛犬の傍には紅梅と白梅が活けられていました。
ここからは車の流れが激しい県道を別所梅林へ。途中には東光院があります。境内には六地蔵と六面地蔵、京都の化野寺見たことがありますが笠付きの六面地蔵は初めてです。大きな墓地を持つこのお寺は古い石仏が多いところです。墓地の中には苔むした仏たちが佇んでいました。
たどり着いた別所梅林はまたたくさんの花見客で賑わっていました。