四阿山は数年前、バラキ高原側からゴンドラを利用し訪れたことのある山です。日本百名山の一つに数えられる山頂からは白い噴煙を上げる浅間山が目の前に迫り、右手にはなだらかな根子岳の稜線が続いていた記憶が残っています。その根子岳は田中澄江の花の百名山にウメバチソウの咲く山として紹介されている山です。今ではその山腹に咲くレンゲツツジの山として、ツアー登山などで訪れる人も多い山です。
今回は菅平牧場から根子岳に登り、四阿山の山頂で浅間山や奥志賀の山々展望を楽しんだのち、菅平牧場に下ると言うコースを歩きました。
菅平牧場の広い駐車場は平日にもかかわらず、すでに15、6台の車が停まっていました。中には山菜狩りに来た車もあるようですが、この山の人気の高さが頷けるものです。左手の牧柵の中には青い草を食む乳牛が数頭。なかなか長閑な雰囲気です。
明るい潅木に覆われた尾根道は、真っ直ぐに根子岳の山頂を目指して登って行きます。振り返る稜線は大松山ダボススキー場。ゲレンデの下に広がる光る建物はレタスのビニールハウスでしょうか。遠く棚引く雲の下には北アルプスの青い稜線が続いていました。ダケカンバが点在する斜面はあまり急でないものの、真っ直ぐ山頂に向かって登って行く道はなかなかきつい登りです。
たどり着いた根子岳の山頂は大きく開けたところで小さな石の社が祭られています。正面には四阿山の大きな山頂が迫っています。その左手には草津白根山から連なる奥志賀の山々。大きな三角形の頂は横手山、白い雪を被った山は岩菅山でしょうか。振り返ると白馬岳から連なる北アルプスの山々が青く晴れ渡った空の下に広がっています。残念ながら槍ヶ岳や穂高岳の付近は雲に覆われ、その姿を確かめることはできません。また白い噴煙を上げる浅間山、水ノ登山、篭ノ登山、湯ノ丸などの山々は目の前にそびえているものの、富士山は薄い霞みの中に溶け込み、その姿を見せてはくれませんでした。
根子岳の山頂からは四阿山に向かうことにします。右手が切れ落ちた岩峰の傍を巻きながら大隙間と言われる鞍部に向かって下って行きます。明るい笹原が広がる大隙間からは、シラビソの林の中を登り返す急坂が始まります。暗い林の中はまだ残雪が登山道を覆っていました。
小さな岩場を越えしばらく登ると、中四阿から登ってくる登山道を右手から合わる分岐点です。ここから山頂まではもう一息。高山植物の保護のため設けられている木の階段を登ると目指す四阿山の山頂でです。東西に長く連なる山頂には石の祠が二つ。東にあるのが菊理媛命を祀った上州祠、西にあるのが伊弉諾尊を祀った信州祠(山家神社の奥宮)とか。この二つの祠の真ん中が信州と上州の国境です。山頂には熟年の10人ほどパーティと町田から来たと言う夫婦連れが昼食の最中です。我々も山頂の一角に腰を下ろしお弁当とします。
四阿山は200万年前に噴火した四阿火山といわれるカルデラ火山で、根子岳、四阿山、裏倉山と奇妙山に囲まれた直径3kmという大きなカルデラが形成されています。その規模から、山頂が崩壊する以前は、浅間山よりもはるかに大きな成層火山が上州と信州に大きな裾野を広げていたと言われています。
山頂で展望を楽しんだ後、菅平牧場に戻ることにします。山頂からは根子岳へ向かう道を右に分け、明るい笹の尾根道を下って行きます。どこまでも明るい尾根道には真っ赤なミツバツツジ、稜線に咲くサクラはミネザクラでしょうか。しばらく下ったところは中四阿と言われる小さなコブです。ここから振り返る四阿山の山肌は崩壊が激しい岩場で、なだらかな根子岳や四阿山の東斜面とは対照的な姿を見せています。
中四阿からは、笹に覆われた登山道を菅平牧場へ向かって下って行きます。しばらく下ったところが小四阿の小さな岩場です。
ここからは明るいダケカンバの林の中を下って行きます。林の中にはアマドコロやスズランが白い花を付けていました。やがて登山道は牧柵の傍を下って行きます。「アイス、牛乳までもう少し・・」と書かれた看板に励まされながら牧場の脇を下っていくと、ほどなく車を停めた菅平牧場の駐車場です。
根子岳への明るい稜線は高山植物の多いところす。牧場の草原の中にはアズマギクやイワカガミ、可憐な花を付けたフデリンドウなどが咲いています。期待していたレンゲツツジは朱色の蕾が僅かにほころび始めたばかりで、満開のお花畑を楽しむことができるのはもうしばらく時間が必要でしょう。
ガイドブックには根子岳の稜線にはクロマメノキが群生しているとか。最近はジャムの材料として採取していく人も多く、激減していると言います。このため付近一帯のクロマメノキは採取禁止になっているようです。