玉縄城2代城主北条綱成が建てた瑞光院がこの寺のはじまりで開山は泰絮宗栄と伝えられます。天正3年(1575年)4代城主氏勝が3代城主氏繁を弔うため現在の地に移し、氏繁の戒名により龍宝寺として建立しました。創建以来、玉縄北条氏の菩提寺で、綱成、氏繁、氏勝の位牌を伝えると言います。
玉縄幼稚園の脇から続く参道にはガマやミソハギなどが花を付けています。ボタンの咲くお寺のようですがすでに花の時期は終わっています。
参道には小さなお堂のほか金比羅大権現のお堂が祀られています。その隣には新井白石の石碑がありました。新井白石は江戸中期の政治学者、城廻に家禄を得たことから龍宝寺に200石を献上したとされています。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。
はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。