五霊神社(〆引) 


 寺社の種類:旧村社、神饌幣帛料供進神社
 創建の時期:伝・大同元年(806年)
 御祭神:天穂日命少名彦名命大己貴命事代主命、三穂津姫命、宇迦之御魂、太田持資(太田道灌)
 境内社:-
 本殿の形式:-
 所在地:神奈川県伊勢原市上粕屋790
 訪問日:2024年10月20日

 

小さな境内の奥に赤い覆い堂のある五霊神社の社があります。Copilotによると五霊神社は、日本の神道における伝統的な儀式「五霊会」と関連しており、特定の祖先の霊を供養するための神社です。一方、御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、主に災害や不幸をもたらしたとして祀られる霊を鎮めるための神社です。特定の歴史上の人物や事件に関連することが多く、その霊を鎮めることで平和や繁栄を願うものです。

鎌倉など関東に多い御霊神社は関東平氏五家の始祖、鎌倉氏、梶原氏、村岡氏、長尾氏、大庭氏の霊を祀った神社です。後に祭神は鎌倉景政(鎌倉権五郎)に1柱に集約されてと言います。

神道における御霊会(ごりょうえ)は、怨霊や死者の霊を鎮め、災いや不幸を防ぐために行われます。平安時代には、霊朝廷や貴族の間で御霊信仰が注目となり、御霊会が重要な国家行事として行われました。御霊会では、神々への供物を讃え、音楽や舞(神楽)が奉納され、霊を慰めることで災厄を恐れることを願いました。

有名な御霊会には、京都の祇園御霊会があり、現在の祇園祭の起源とされています。また、御霊神社(上御霊神社)でも、同様に御霊会が行われており、歴史上の怨霊とされる人物たちの霊を鎮め、地域の平穏を願う祭りとして続いています。

ここの五霊神社は創建の時期から御霊会の神社なのでしょう。しかしご祭神の天穂日命や少名彦名命、大己貴命などは神話の世界に登場する神様で怨霊とは無縁のように思われます。由緒書きには国府祭の神揃山へ出御する比々多神社の神輿がこの神社に立ち寄るなどの記述があるようで長い歴史を語り継ぐ神社の一つなのでしょう。

五霊神社の社殿
拝殿の神額
五霊神社の由緒書き

≪五霊神社の由緒書き≫

創立は社伝に、大同元年(806年)三之宮村五霊原に鎮座したてまつるという。略日本紀によれば、太政官は各村国に命じ、各国正税三十束を以て五霊会を行わせられ京都をはじめ各国に五霊神社を創立せられ、年々、五霊会を行うとある。武蔵総社資料によれば相模の国府祭が行なわれら時は、三之宮比々多神社の神輿が、一旦、五霊神社の神実を神輿の左の厥手につけ、神揃山へ出御すると見え、神実を在庁家へあづけておき、当日、先例に依り、厥手にかけて出御する。諸国国分寺誌によれば、各国の府に五霊社のあることを記し相模の部に、今大住郡上粕屋七五三引に此の社ありと記す。和名抄をみると、相模の国府が大住郡にあったことを記している。

按ずるに、当社は、彼是取合わせて、時の政令により、当社を五霊会を行う神社として五霊神社と称し、国司の崇敬祭祀せしものである。

明応3年(1494年)9月13日、伊勢新九郎入道早雲は、太田道灌を合せ祀る。宝永年中、三之宮より現在地に移転、社殿を再建す。

 

関連記録・コース

 天穂日命・天菩比神(あまのほひのみこと)

日本神話に登場する神、天照大神(あまてらすおおみかみ)の子供です。天孫降臨に先立って葦原(あしはら)の中つ国に遣わされたが、大国主神(おおくにぬしのかみ)に味方して復命せずのちに大国主神の祭主を命じられたと言います。出雲(いずも)氏、土師(はじ)氏らの祖先神です。

 

 少彦名命(すくなびこなのみこと)

古事記では神産巣日(かんむすひ)神の、日本書紀では高皇産霊(たかみむすひ)尊の子です。大国主神の国土経営に協力したが伯耆国淡島で粟茎(あわがら)に弾かれて常世(とこよ)国に行ったとされています。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 事代主神(ことしろぬし)

出雲神話の神。大国主命の子です。国譲りを要求する高天原からの使者に対し、大国主神にかわって国譲りの誓約をしました。神の託宣をのべる役割をもつとされます。

 

 宇迦御魂命・宇迦之御魂神・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

古事記、日本書記に登場する神です。須佐之男命と神大市比売の子です。農耕の神、商工業の神、商売繁盛の神としても信仰されていて全国の稲荷神社で祀られています。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

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