ヤセオネ峠10:50-相馬山11:30/12:25-ヤセオネ峠12:45
歩行時間1:00、行動時間1:55、歩行距離2.7km、標高差240m、累積標高差+240m、-240m
ヤセオネ峠近くの駐車スペースに車を停め相馬山を目指すことにします。真っ赤な鳥居をくぐるとハルゼミの声に包まれた雑木林の道が始まります。
緩やかに登る登山道はやがて磨墨岩からの道を合わせる分岐にたどり着きまました。
道端にはたくさんの石碑や石像が祀られ、相馬山が今なお修験道の山であることを教えてくれます。急な石段が続く登山道を登って行くと長い鉄の梯子が現れます。さらにその先にはやや短めの鉄梯子もありました。
修験道の山にありがちな仰々しい鎖が張られた岩場を登ると山頂の肩です。木立の先からは雲海の上に奥秩父や奥多摩の稜線、その上には富士山の頂も見えています。
たどり着いた山頂は南側の視界が開けるところです。雨上がりの青黒い視界の先は奥秩父の稜線、甲武信ヶ岳や金峰山の頂も見えています。
山頂には黒髪山神社の社、その脇にはたくさんの石像が祀られています。祭神の大山津見神は大山祇神とも呼ばれ古事記にも登場する神です。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)の間に生まれたとされ、山の神または海の神として崇拝されています。
石像の先には廃道となった二ツ岳へと続く道があります。途中には鎖場や切れ落ちた岩場もあり死亡事故もあったところで通行止めの看板が設置されていました。
山頂で出会った人は近郷の人のようです。目の前の鳥居はかつての表参道の跡で、戦後アメリカ軍が山麓に演習場を設置したことから廃道となったとか。道は荒れているようでここも立入禁止の案内板が立っています。途中には古い石像など山岳信仰の跡が残っていると言います。
展望を楽しんだ後、往路をたどりヤセオネ峠に下ることにします。登山道の鉄梯子は昨年の大雨による落石で壊れていたようで2週間ほど前に地元の人が修復したか。左手には仮設の巻道が見えていました。
水沢山登山口14:05-水沢山14:35/15:10-水沢山駐車スペース15:35
歩行時間0:55、行動時間1:30、歩行距離1.7km、標高差145m、累積標高差+170m、-170m
水沢山の登山口は水沢観音からが一般的ですが今日は森林公園から山頂を往復することにします。冬はスケートリンクがあると言う広い公園も今は閑散としています。登山道は船尾滝へと続く道の途中にありました。
登山道は緑色に包まれた雑木林の中を登って行きます。電波塔の傍を過ぎると細くなった稜線の上を登るようになります。やがて小さな岩場を越えると水沢山の山頂です。広く開けた山頂は展望が広がるところで三角点の傍には展望盤も設置されています。
目の前に広がる山並みは青黒いシルエットとなった奥秩父の稜線、その先には富士山の頂、特徴のない稜線のピークは奥秩父の盟主甲武信ヶ岳、それから続く頂は金峰山、小川山へと続いているようです。
振り返ると雲を頭に載せた赤城山、十二ヶ岳や子持山の頂も見付けることが出来ます。山頂で出会った中年の女性は地元の人、水沢観音から登っていたと言います。
この山もまた地元の人に愛されている山で毎日のように登っているグループもあるとか。地元の山と言うことで顔なじみになっているようでかえって気を使と言っていました。
丹沢の大倉尾根でも同じように回数登山を重ねている人も多いようですが、このような登り方もまた登山スタイルの一つなのかもしれません。
雑木林に包まれた登山道にはあまり目立った花を見付けることはできません。相馬山の山頂にはベニバナツクバネウツギ、キバナウツギが咲いていました。
相馬山からはレンゲツツジの群生地に向かいました。ミズナラなどの雑木林の中に朱色の花を付けたレンゲツツジの群生、例年であればヤマツツジやシロヤシオなども咲いていたはずでしたがレンゲツツジのほかはなにも見つけることが出来ませんでした。確かに今年の花の季節は足早に通り過ぎているようです。