中ノ平~(1h25m)~槙寄山~(1h00m)~数馬峠~(0h50m)~丸山~(0h45m)~土俵山~(0h50m)~浅間峠~(0h50m)~上川乗バス停~(0h30m)~南郷バス停
三頭山から生藤山へと続く長い稜線は笹尾根と呼ばれています。東京と山梨の県境でもある稜線は秋川沿いの山里と上野原の山里を結ぶ古い生活の峠道も通るところです。
桧原村周辺には変わった地名も多くあります。人里(へんぼり)、笛吹(うずしき)はとても読める地名でありません。これもまた古い山里の歴史がこの周辺に残っている一つの証かもしれません。
武蔵五日市から数馬へと向かうバスの便はあまり良くありません。休日には9時に駅前を出発するバスがあるものの、これを逃すとあとは11時59分発のバス。平日は9時50分に駅前を出発するバスがあるだけで山登りに利用するには少し遅すぎます。
仲ノ平からは明るい集落の中を登って行きます。民家の庭先には福寿草も咲いていました。西原峠に近付くと登山道の雪も多くなっています。昨日は気温が高かったようで溶け残った雪が堅い氷となって登山道に張り付いていました。思いのほか滑りやすい道です。
西原峠からひと登りすると槙寄山です。南側が大きく開けた山頂からは目の前に大きな富士山。その左には大室山、檜洞丸、蛭ヶ岳、丹沢山へと続く丹沢の山塊、その前に長く続く稜線は権現山、雨降山へと続く稜線です。
ここからは冬枯れの稜線をたどる尾根道が始まります。この稜線は山岳マラソンのコースともなっているようで、小さなザックを背負った若者も数人。雪の上にはマウンテンバイクの轍も見つけることができます。我々のようなハイカーだけでなく色々な楽しみ方ができる稜線と言うことができます。
しばらく尾根道を歩くと凍りついた雪が登山道に張り付いていました。かなり滑りやすので軽アイゼンを付けることにしました。唐松の林に覆われたなだらかな稜線をたどると数馬峠です。上野原の上平と南秋川の数馬を結ぶ峠で、この地方の生活の道路として利用されていたようです。主な峠は数馬峠、笛吹峠、浅間峠で荷駄にも優しい浅間峠の道が最も利用されたと言います。
数馬峠は西側が大きく開け、正面には大きな富士山が青空の下に裾野を広げています。峠脇のベンチに腰をおろして昼食にしました。
笹に覆われた稜線をしばらく進むと笹ヶタワノ峰です。木の幹に1121mと記された私製の山頂標識が打つ付けられていました。
唐松に覆われた稜線は雪が残っているところもありますが、明るい日差しを浴びた尾根歩きの道が続いています。小さく下った峠が笛吹峠です。道標に近くには大日菩薩を祀る石碑もありました。
ここからは丸山への登り返しです。小棡峠を越え小さなアップダウンを繰り返しながら尾根道をたどると土俵山、さすがに少し疲れたようで山頂標識の傍で一休です。20年ほど前にこの稜線を訪ねた時は少し遅くなったのか、土俵山の先の日原峠から人里に下って行った記憶が残っています。
土俵山からは日原峠を越え浅間峠へと向かいます。浅間峠手前の登りは疲れた足にはかなりきつい登りでした。たどり着いた浅間峠の東屋で最後の小休止です。ここからはなだらかな峠道を上川苔に下りました。
上川乗りのバスの時間は17時過ぎまでありません。バス停で待っているのも身体が冷えそうなので南郷のバス停まで歩くことにしました。