武蔵五日市駅9:45~大悲願寺10:15~正光寺10:35~下町地蔵堂10:55~いなげ屋11:05/10~玉林寺11:20~番場地蔵堂11:35~子生神社11:55/12:20~光厳寺12:45~三嶋神社13:00~徳雲院14:00/10~十里木バス停14:35
今年の七福神歩きは武蔵五日市七福神です。
武蔵五日市から秋川渓谷に沿って点在する七福神巡りは正月の三ヶ日が御開帳、1月末までは御朱印がもらえると言います。
●大黒天・大悲願寺、住所:あきる野市横沢134番地 |
●弁財天・正光寺、住所:あきる野市舘谷84番地 |
●恵比寿天・下町地蔵堂、住所:あきる野市五日市64番地 |
●福禄寿・玉林寺、住所:あきる野市五日市926番地 |
●毘沙門天・番場地蔵堂、住所:あきる野市五日市885番地 |
●布袋尊・光厳寺、住所:あきる野市戸倉328番地 |
●寿老人・徳雲院、住所:あきる野市乙津511番地 |
昨年の末から新型コロナ第8波の感染拡大が続いています。第7波と違い全数把握を行っていないため感染者数は若干少ないものの、高齢者を中心として死亡者数は過去最大を更新しているようです。知り合いが新型コロナに感染するなど、感染の波は身近にも訪れているようです。
たどり着いた武蔵五日市の駅前から五日市街道を戻り五日市橋へ、旧五日市街道から五日市線の線路を越えると大悲願寺の山門です。
大悲願寺は真言宗豊山派の古刹、武蔵国平山の武将平山季重が醍醐寺三宝院の僧を招いて開いたと伝えられています。
武蔵五日市七福神の大黒天を祀るお寺で金色山の扁額を掲げる山門をくぐると正面に観音堂、大黒天は方丈の納経所に祀られていました。
五日市街道に戻ると正光寺です。ここは秋川丘陵のハイキングで訪れたことがあります。
吉祥天は祀られた上町地蔵堂から坂道を下って行くと玉林寺の山門です。
臨済宗建長寺派の寺院は檜原城主平山新左衛門氏重を開基とする古刹と言います。広い境内には大きな方丈、小さなお堂に七福神の福禄寿が祀られていました。
ロウバイが咲く急坂を戻り番場地蔵堂に向かいます。よく見ると玉林寺から直接登って来る道がありました。
番場地蔵堂は玉林寺の境外社なのでしょうか、ここには毘沙門天が祀られています。
檜原街道をしばらく進むと黒茶屋、左に分かれる本郷通りはかつての檜原街道であったところのようです。
杉林の中には子生神社(こやすじんじゃ)があります。両部神道の修験者、阿闇梨法印朱学院が神像を奉安したという神社で子孫繁栄、安産子育の神として崇敬を集めていると言います。境内には底が抜けた柄杓が奉納されていました。境内に湧く明神池の水をすくって納め安産を祈願すると言います。
両部神道は真言密教と結合して発達した神仏習合で、胎蔵界・金剛界の両部曼荼羅の諸尊を日本の神祇に合同して本地垂迹をとなえると言います。
檜原街道の手前で道を左に折れ戸倉配水所へと急な坂道を登って行きます。途中には廃校となった戸倉小学校の校舎を利用した戸倉しろやまテラスがあります。研修センターのほか宿泊やレストランとして営業しているようですが平日のためか人の気配もありません。近くには住宅地が広がっていますがなかなか賑わいを戻すのは難しいのかも知れません。
急坂を登って行くと臨済宗建長寺派の光厳寺です。武蔵五日市七福神の布袋尊を祀るお寺です。
現地の案内板によるとここは戸倉城があったところとか、武州一揆の古宮氏によって築城された山城です。そののち後北条氏が支配することとなり八王子城の支城となっていたと考えられています。枡形や虎口の跡が残っていると現地の案内板に紹介されていました。
近くには三嶋神社があります。急な石段を登って行くと杉林の中に三嶋神社と武多摩神社が祀られていました。三嶋神社は伊豆三島神社の分霊を遷して創建された神社で戸倉本郷の鎮守とされています。
また極彩色の武多摩神社は明治の神仏分離令によりかつての不動堂を改名したものと言います。
武蔵五日市七福神の最後は徳雲院です。三嶋神社からは戸倉キャンプ場近くの道を約1時間ほど、川遊びのできるキャンプ場やバーベキューなどの施設がありますが冬場の平日では人影はありません。
こんにゃくや燻製を商う店が現れると道は養沢川沿いの舗装道路、この道は御嶽山の登山口、七代の滝へと続く道です。
たどり着いた徳雲寺は臨済宗建長寺派の寺院です。武蔵五日市七福神の寿老人を祀るお寺です。本堂近くでお年寄りのご夫婦がお話をしていただきましたが境内には四国、西国、坂東、出羽三山の巡拝供養塔、その傍には一路観音があると言います。東京の丸ビルで文房具を扱う和風堂を営んだ馬場一路は多くの書画を残した人。一路観音は夫人がその供養のため全国33ヶ所に建立した石碑で、この碑は32番目の碑と言います。
また本堂には板木が掲げられていました。禅寺で修行など諸作法の合図として打ち鳴らされるもので、長く使われているのか表面は木筒のため摺り切れていました。
「生死事大 無常迅速 光陰可惜 時不待人」
人間は生死から逃れることはできない 全ての事はすぐに移ろうもの 過ぎていく時間は一瞬を惜しみ今を大切に 時は人を待ってくれない
その出典は諸説あるようですが禅の教えを示していると言います。
帰りは十里木から武蔵五日市へのバスで戻ることにしました。そろそろ大寒を迎える武蔵五日市の七福神巡りでしたが比較的暖かいハイキング気分の一日でした。