武蔵五日市七福神の布袋尊を祀るお堂です。足利尊氏の命により、足利基氏が建武元年(1334年)正宗広智禅師により開山。南北朝動乱の際には足利基氏が弥仁親王を当地に保護、後光厳院より光厳寺の勅額を拝領、寺号となっています。
徳川家康の関東入国に祭して天正19年(1591年)寺領20石の御朱印状を受領、塔頭5寺、末寺28寺を擁する中本寺格の寺院でした。
光巌寺の山桜は有名で東京都指定天然記念物にしてされています。
境内にはたくさんの石仏と三界万霊塔、寒念仏供養塔があります。寒念仏供養塔は僧侶などが寒さの厳しい小寒から節分までの30日間にわたり、鉦をたたき念仏を唱えながら諸所を巡回する苦行で、後には一般でも行うようになったと言います。
また背後の城山は戦国時代の山城で、15世紀ごろの武州南一揆の一員であった土豪小宮氏が築城したものとも言われています。
その後、天文15年(1546年)北条氏輝が大石氏の名跡を継いで滝山城主になると大石定久は戸倉城に蟄居しました。北条氏輝が滝山城を拠点として甲斐武田氏と対立するようになると檜原城が甲州口の抑えとなり戸倉城は情報伝達の中継となったと現地の案内板には紹介されていました。
仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。
はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。