光厳寺 


 寺社の種類:臨済宗建長寺派の寺院
 山号:鷲峰山
 創建の時期:建武元年(1334年)正宗広智禅師が開山
 本尊:釈迦牟如来
 札所:武蔵五日市七福神の布袋尊
 所在地:東京都あきる野市戸倉328
 訪問日:2023年1月18日

 

武蔵五日市七福神の布袋尊を祀るお堂です。足利尊氏の命により、足利基氏が建武元年(1334年)正宗広智禅師により開山。南北朝動乱の際には足利基氏が弥仁親王を当地に保護、後光厳院より光厳寺の勅額を拝領、寺号となっています。

山門脇に六地蔵
戸倉城跡の案内板
光巌寺の山門
光巌寺の山門
境内の奥に本堂
本堂
本堂
指定文化財の案内板

徳川家康の関東入国に祭して天正19年(1591年)寺領20石の御朱印状を受領、塔頭5寺、末寺28寺を擁する中本寺格の寺院でした。

光巌寺の山桜は有名で東京都指定天然記念物にしてされています。

境内にはたくさんの石仏と三界万霊塔、寒念仏供養塔があります。寒念仏供養塔は僧侶などが寒さの厳しい小寒から節分までの30日間にわたり、鉦をたたき念仏を唱えながら諸所を巡回する苦行で、後には一般でも行うようになったと言います。

三界万霊と寒念仏供養塔
境内の石仏
境内の石仏
鐘楼
七福神の布袋尊
天満宮
長福稲荷

また背後の城山は戦国時代の山城で、15世紀ごろの武州南一揆の一員であった土豪小宮氏が築城したものとも言われています。

その後、天文15年(1546年)北条氏輝が大石氏の名跡を継いで滝山城主になると大石定久は戸倉城に蟄居しました。北条氏輝が滝山城を拠点として甲斐武田氏と対立するようになると檜原城が甲州口の抑えとなり戸倉城は情報伝達の中継となったと現地の案内板には紹介されていました。

 

関連記録・コース

 臨済宗建長寺派(りんざいしゅうけんちょうじは)

日本仏教の一宗派。臨済宗一四派の一つです。本山は京都の妙心寺、派祖は関山慧玄。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

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