村岡七福神 


 歩程:行動時間 2:45、歩行時間 2:35
 歩行距離:7.2km
 累積標高差:+132m、-96m
 アプローチ:往路・JR東海道線藤沢駅、復路・神奈中バス遊行寺坂上バス停
 訪問日:2022年2月12日

 

 コースタイム


藤沢駅13:20~川名御霊神社13:45~弥勒寺14:05~小塚荒神社14:10~高谷大明神14:25~長福寺14:35~村岡城址公園14:45/50~渡内日枝神社15:00~ファミマ藤沢渡内店15:10/15~慈眼寺15:20/25~柄沢神社15:45~遊行寺坂上バス停16:05

 

 村岡七福神


藤沢の村岡は鎌倉古道・上の道が通っていたところで古い歴史の跡が今も残っています。村岡ふるさとマップには古い寺社や石塔など歴史の跡が紹介されています。

今回は村岡の寺社をめぐる七福神巡りです。寿老人が祀られた宮前御霊神社は先日の柏尾川の川歩きで訪れたので残りの6ヶ所をめぐることにしました。

●福禄寿・川名御霊神社、住所:藤沢市川名654
●毘沙門天・弥勒寺、住所:藤沢市弥勒寺519
●布袋和尚・小塚荒神神社、住所:藤沢市小塚596
●大黒天・高谷大神宮、住所:藤沢市村岡東3-29
●弁財天・渡内日枝神社、住所:藤沢市渡内3-8-10
●恵比寿・柄沢神社、住所:藤沢市柄沢511
●寿老人・宮前御霊神社、住所:藤沢市宮前560

歩き始めは藤沢駅から川名御霊神社へ、村岡歴史の道の道標に導かれ住宅地の中を進むと急な石段がありました。現地の石碑によると祭神は早良親王、鎌倉権五郎景昌を合祀する神社と言います。

藤沢駅の南口
川名御霊神社の石段
石段の上に拝殿
福禄寿の石像

長い石段を登ると拝殿、その側には福禄寿の石像が祀られています。村岡の七福神は石像が屋外に祀られていることから正月以外にも参拝することができます。

 

東海道線を超えると弥勒寺高架橋の側に弥勒寺があります。近くには商店街がありますがかなりはずれにある日蓮宗のお寺です。

弥勒寺の山門
弥勒寺の本堂

境内の奥にコンクリート造りの本堂、七福神の毘沙門天は本堂裏の毘沙門堂にあったようで見落としてしまいました。

 

荒神神社も弥勒寺高架の側にある神社で荒神社とも呼ばれています。

小塚荒神神社の石鳥居
コンクリート造りの拝殿
境内に布袋和尚
道端に石仏群

南北朝時代初期、建武2年(1335年)に小塚五左衛門が創建、その後小塚地区の鎮守となっと言います。境内には布袋和尚の石仏がありました。

道端には石仏が祀られています。お地蔵さんと庚申塔など、宅地造成などの過程で移されたものなのでしょう。

 

弥勒寺高架橋から離れ住宅地の中を歩くと高谷大神宮です。ここも急な石段を登る神社です。

高谷大神宮の長い階段
高谷大神宮の拝殿
境内に由緒書き
大黒天の石像

小さな広場には拝殿と稲荷社、大黒天の石像祀られていました。

 

住宅地な中を進むと湘南ヘルスイノベーションパーク、武田薬品の工場跡に作られた新しい施設のようで、地域にも開放されていると言います。ここはかつてのかまくら古道・上道、住宅地の坂道を登ると長福寺です。

長福寺の石柱
長福寺の本堂
本堂の内部
長福寺の里山陵墓

高谷山の山号があるようですが曹洞宗の寺院です。本堂脇には里山陵墓と言う墓地がありました。

 

坂道を登った先は長岡城址公園です。文化財ハイキングコースや村岡ふるさとマップにも紹介されていますが土塁や石積みなどの痕跡さえも残っていないようです。

長岡城跡の標柱
文化財ハイキングコース案内板
長岡城跡の石碑
村岡ふるさとマップ

たくさんの子供が遊ぶ公園には東郷平八郎の甥にあたる東郷吉太郎の撰文という村岡城址の碑が建っていました。

 

さらに住宅地の中を進むと渡内日枝神社です。ここも急な石段を登ってところに小さな拝殿が祀られています。

渡内日枝神社の道標
石段の上に拝殿
拝殿の内部
境内に毘沙門天

境内には毘沙門天の石像が祀られていました。

 

渡内日枝神社から道を左に、渡内の交差点を左に曲がると程なく慈眼寺です。参道には鎌倉郡三十三ヶ所の古びた石柱が建っています。江戸時代に旧鎌倉郡に設定された札所で廃寺や移転した寺院もあり新たに23ヶ所の霊場が加えられたと言います。

鎌倉郡三十三ヶ所の石柱
石段の上に四脚門
慈眼寺の本堂
本堂の内部
相田みつをの「ある日自分へ」
相田みつをの「七転八倒」
本堂にお腰さま
二百観音霊場巡拝供養塔

石段を登ると四脚門、大きな本堂には歌舞伎の小栗判官で伝えられる小栗満重と照手姫を蘇らせたと言う観音縁起の版木があります。

本尊の十一面観音立像は秘仏で本堂には前立の十一面観音が祀られていました。また右手にはお腰さまと呼ばれる十一面観音が祀られていました。本堂脇には石造りの十一面観音、お腰さまと記された石柱には「痛みの部分にお札をお貼りください」と掘られていました。

本堂には「ある日の自分へ」「七転八倒」、相田みつをは多くの名言や格言を残した書家、詩集「人間なんだもの」で知られていると言います。

境内には二百観音霊場巡拝供養塔があります。西国、坂東、秩父の百観音霊場に加え三浦三十三ヶ所、鎌倉郡三十三ヶ所、武州金沢三十三ヶ所を巡礼したという供養塔です。安政4年(1857年)に建てられたと言いますが現在のように交通機関がなかった時代、徒歩で200ヶ所をめぐるのは大変だったのでしょう。

 

最後は柄沢神社です。住宅地の中の神社はかつてのかまくら道・上道にあったようで境内にはたくさんの庚申塚が祀られていました。

柄沢神社の石碑
柄沢神社の拝殿
境内に鐘楼
七福神の蛭子天
境内に庚申塚
境内に庚申塚

かつては第六天社、第六天魔王(他化自在天)を祀る神仏習合の神社であったのでしょう。明治の神仏分離令で第6代天皇・考安天皇を祀ることになったと言います。境内には鐘楼も残っていました。

 

帰りは遊行寺坂上のバス停から戻ることにします。途中、大鋸小学校近くの坂道を登り返すところが判りにくく道間違い、遊行寺上のバス停についたときはタッチの差でバスが出て行ってしまいました。結局7kmほどの七福神歩きでしたがかまくら古道沿いの道だったことからか多くの歴史の跡をたどれた道歩きでした。

 

 コース GPSmap


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 鎌倉郡観音霊場

鎌倉近郊を中心として江戸時代に定められた観音霊場。明治の廃仏毀釈の流れの中移転しまった寺や廃寺もある。

1番 新清水寺(東京都中央区日本橋人形町)、2番 花光院跡、3番 寿福寺、4番 海蔵寺、5番 正覚寺、6番 報身院、7番 香蔵院、8番 来迎寺、9番 建長寺飛石山、10番 建長寺、11番 東慶寺、12番 円覚寺仏日庵、13番 亀井堂(市場公会堂)、14番 多聞院、15番 法安寺、16番 永林寺、17番 光明寺、18番 浄念寺、19番 長福寺、20番 円福寺、21番 蔵田寺、22番 清源院、23番 観音寺、24番 大石寺観音堂、25番 正法寺、26番 中田寺、27番 宝寿院(願行寺)、28番 大運寺、29番 玉泉寺、30番 燈明寺、31番 勝福寺、32番 二伝寺、33番 (宝国院)慈眼寺

 

 孝安天皇(こうあんてんのう)・日本足彦国押人尊

第6代の天皇(在位:前392年1月7日 ~前291年1月9日)孝昭天皇の第2皇子。室秋津島宮(むろのあきつしまのみや)に都を移す。陵墓は奈良県御所市玉手の玉手丘上陵。欠史八代の一人で実在性については諸説ある。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

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