玉縄城の三代北条北条綱成が創建した曹洞宗の寺です。
参道には鎌倉郡三十三ヶ所の古びた石柱が建っていました。江戸時代に旧鎌倉郡に設定された札所で廃寺や移転した寺院もあり新たに23ヶ所の霊場が加えられたと言います。
石段を登ると四脚門、大きな本堂には歌舞伎の小栗判官で伝えられる小栗満重と照手姫を蘇らせたと言う観音縁起の版木があります。
本尊の十一面観音立像は秘仏で本堂には前立の十一面観音が祀られていました。また右手にはお腰さまと呼ばれる十一面観音が祀られていました。本堂脇には石造りの十一面観音、お腰さまと記された石柱には「痛みの部分にお札をお貼りください」と掘られていました。
本堂には「ある日の自分へ」「七転八倒」、相田みつをは多くの名言や格言を残した書家、詩集「人間なんだもの」で知られていると言います。
境内には二百観音霊場巡拝供養塔があります。西国、坂東、秩父の百観音霊場に加え三浦三十三ヶ所、鎌倉郡三十三ヶ所、武州金沢三十三ヶ所を巡礼したという供養塔です。安政4年(1857年)に建てられたと言いますが現在のように交通機関がなかった時代、徒歩で200ヶ所をめぐるのは大変だったのでしょう。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。