柄沢神社 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:-
 本殿の形式:-
 札所:村岡七福神
 所在地:神奈川県藤沢市柄沢511
 訪問日:2022年2月12日

 

かつては第六天社とよばれる神仏習合の神社でした。明治の神仏分離令で第六代天皇・考安天皇を祀ることになったと言います。境内には鐘楼も残っていました。

1193年(建久4年)入間野・那須野の巻狩へ向かう途中の源頼朝が参拝したとされることから、鎌倉武士や江戸時代の領主大久保佐渡守忠保らに崇敬されと言います。

柄沢神社の石柱
柄沢神社の鳥居
参道に狛犬
参道の御手水社
境内に恵比寿天
境内の鐘楼
柄沢神社の拝殿
しめ縄が張られた柄沢神社の拝殿
拝殿の軒に彫刻
庚申塚

かつてのかまくら道・上道にあったようで境内にはたくさんの庚申塚が祀られていました。

 

 《柄澤神社由緒》現地の石碑

鎮座地 藤沢市柄沢五一一番地

御祭神 天照皇大神、孝安天皇

由緒

創建年不詳

もとは第六天社といい孝安天皇を祀っていた。 建久四年(一一九三年)右大将源頼朝 武州入間川に狩りに行く途中、当神社に参拝したことから信仰が広まり、鎌倉武士や江戸時代の 領主大久保佐渡守忠保等の崇敬極めて篤く、村民もまた氏神と仰ぎ祭事を尽くした。

文化六年(一八一〇年)六月社殿を造営

文久元年(一八六一年)四月社履を造営

明治元年(一八六八年)三月二十八日、第六天社を柄澤神社と改称。

明治六年(一八七三年)十二年、村社に列せられた

明治十六年(一八八三年)現在地に移転した

明治四十五年(一九一二年)四月、社殿を造営

大正十年(一九二一年)三月三十一日、大神宮を合併し、天照皇大神を今記した

昭和五十年(一九七五年)八月十四日、鐘楼堂 不応の火災に遭い過失

昭和五十二年(一九七七年)四月十五日、鐘楼堂再建並びに社殿屋根葺替完成。

平成二十二年(二〇一〇年)十二月吉日、区画整理事業に依る改修工事完成

礼小祭 四月第二土曜日

大 祭 九月第二土曜日 翌日曜日

 

 関連記録・コース


 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 孝安天皇(こうあんてんのう)・日本足彦国押人尊

第6代の天皇(在位:前392年1月7日 ~前291年1月9日)孝昭天皇の第2皇子。室秋津島宮(むろのあきつしまのみや)に都を移す。陵墓は奈良県御所市玉手の玉手丘上陵。欠史八代の一人で実在性については諸説ある。

 

 孝安天皇(こうあんてんのう)・日本足彦国押人尊

第6代の天皇(在位:前392年1月7日 ~前291年1月9日)孝昭天皇の第2皇子。室秋津島宮(むろのあきつしまのみや)に都を移す。陵墓は奈良県御所市玉手の玉手丘上陵。欠史八代の一人で実在性については諸説ある。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 邇邇芸命・瓊瓊杵尊・瓊々杵尊・彦火瓊瓊杵・火瓊瓊杵(にぎにぎのみこと)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)

日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。

 

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