かつては第六天社とよばれる神仏習合の神社でした。明治の神仏分離令で第六代天皇・考安天皇を祀ることになったと言います。境内には鐘楼も残っていました。
1193年(建久4年)入間野・那須野の巻狩へ向かう途中の源頼朝が参拝したとされることから、鎌倉武士や江戸時代の領主大久保佐渡守忠保らに崇敬されと言います。
かつてのかまくら道・上道にあったようで境内にはたくさんの庚申塚が祀られていました。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
第6代の天皇(在位:前392年1月7日 ~前291年1月9日)孝昭天皇の第2皇子。室秋津島宮(むろのあきつしまのみや)に都を移す。陵墓は奈良県御所市玉手の玉手丘上陵。欠史八代の一人で実在性については諸説ある。
第6代の天皇(在位:前392年1月7日 ~前291年1月9日)孝昭天皇の第2皇子。室秋津島宮(むろのあきつしまのみや)に都を移す。陵墓は奈良県御所市玉手の玉手丘上陵。欠史八代の一人で実在性については諸説ある。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。