妙音寺は関東88カ所霊場第58番札所、東国花の寺百ヶ寺─山にも選ばれた古刹です。かつては鎌倉街道沿いに七堂伽藍を備えた寺院と伝えられ、小田原北条氏の庇護を受け雨乞いの祈願寺として栄えたと言います。
妙音寺裏山一帯を花山曼荼羅と言い、浄土の世界を現世に表現した花浄土です。山ゆりをはじめ、桜、梅、スイセン、ツツジ、ハス、アジサイ、キキョウなど延べ50種3200本の花木によって彩られていると言います。
石段を登ると本堂、その裏にはたくさんの石仏が祀られた花山曼荼羅です。展望が広がる山頂には大きな大日如来像、花の時期にはあじさいやヤマユリなどが参道に咲き乱れます。
参道に祀られた閻魔大王をはじめとする地獄の大王、人が死んだのち初七日、27日、37日、百ヶ日などに順次十王の裁きを受けるとされています。十王は死者の罪の多寡に鑑み、地獄へ送ったり、六道への輪廻を司るなどの職掌を持つとされています。閻魔大王は良く知られているものの、宋帝王、初江王などあまり知られない大王もいるようです。
大日如来の左右には胎蔵界四仏、金剛界四仏が祀られています。コトバンクなどによると胎蔵界は密教で説く大日如来の理の方面を代表する部門。大日如来の菩提心があらゆる生成の可能性を蔵していることを示したもの、金剛界は大日如来を智徳の方面から開示した部門とされています。
金剛界四仏は東方の阿しゅく、南方の宝生、西方の阿弥陀、北方の不空成就。胎蔵界四仏は東方の宝幢(ほうどう)、南方の開敷華(かいふけ)、西方の無量寿、北方の天鼓雷音と言います。
その傍の大師堂には弘法大師像に並んで福禄寿が祀られていました。
駐車場近くには四国霊場のお砂踏み場があります。左手から徳島県の一番霊山寺、右手には八十八番大窪寺の踏み石がありました。大きな石造りの独鈷も祀られていました。
真言宗の宗派である。総本山は金剛峯寺。高野宗・高野派とも呼ばれる。全国に約3700の末寺がある。
三浦市内に点在する五つの寺院と二つの神社を順拝する全長26Kmの七福神めぐりです。昭和40年(1965)に三浦市観光課と共同で創立されました。
1番福禄寿・妙音寺、2番恵比寿・円福寺、3番毘沙門天・慈雲寺、4番弁財天・海南神社、5番布袋尊・見桃寺、6寿老人・白髭神社、7番大黒天・延寿寺