三田氏の辛垣城の鎮守社、神社の境内にはサクラとツツジが多く、別名「ツツジが丘」とも呼ばれています。
春には桜やツツジの花が咲く急な石段は出世階段と呼ばれているようで、これを登るとご利益があると言います。
日の出山のハイキングコースへと続く愛宕尾根には奥宮があります。この時期、あまり訪れる人はないようで境内はオオバギボウシに覆われていました。
辛垣城は奥多摩川を挟んだ雷電山の尾根筋に築かれた山城です。永禄6年(1563年)三田綱秀が籠る辛垣城は北条氏照との辛垣の合戦に敗れ落城します。軍畑の地名はこの戦いに由来していると言われています。
古事記に登場する神で、伊邪那岐尊、伊邪那美命によって生み出された最後の神です。出産時に伊邪那美命の陰部に火傷ができ、これがもとで伊邪那美命は死んでしまいます。怒った伊弉冉尊は十拳剣天之尾羽張(あめのおはばり)で殺してしまします。
迦具土神の血や死体からは多くの神が生まれました。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
1515~1571年、戦国時代の武将。後北条氏第3代。北条氏綱の子。1551年、扇谷上杉氏・山内上杉氏を河越に破り、1561年の小田原城の戦いでは上杉謙信を敗走させた。伊豆・相模・武蔵・上野を領有し後北条氏の全盛期を築いた。
1590年豊臣秀吉が天下統一のため小田原の北条氏(後北条氏)を滅ぼした戦い。秀吉は兵農分離による組織化された軍事力と強力な物量作戦を展開し、関東の北条氏の支城を次々と落とし本城小田原城を3ヵ月余にわたり攻囲・降伏させた。