高尾山薬王院は真言宗智山派の古刹で、川崎大師平間寺、成田山新勝寺とともに関東三大本山に数えられています。また関東36不動霊場の8番札所としても知られています。
天平16年(744年)に聖武天皇も勅願により行基菩薩が薬師如来を本尊として開山しました。そののち永和年間(1375年 - 1379年)に京都の醍醐寺の俊源大徳が飯縄権現を守護神とし、修験道の霊場として繁栄したと言います。
境内には薬師如来を安置する大本堂、その上には飯縄権現を本尊とする権現堂、さらに石段を上がると奥ノ院の不動堂が祀られています。
薬王院は修験道の色を濃く残すところで、参道には役の小角を祀る神変堂や俊源大徳の石像などがあります。折からホラ貝に先導された僧侶がの一団が権現堂へと向かっていました。
高尾山を訪ねたのは都心のサクラがすでに葉桜となった時期です。たくさんの観光客と一緒に薬王院から高尾山の山頂を越え城山に向かいました。
真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。
奈良時代の僧、668~749年。百済系の渡来人。法相宗を学び諸国を巡って布教た。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが僧尼令違反として禁止された。後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
昭和62年(1987年)に開創された不動霊場。神奈川県・東京都・埼玉県・千葉県内にある36箇所の不動明王霊場寺院をめぐる札所。
1番 雨降山大山寺、2番 大雄山最乗寺(道了尊)、3番 成田山横浜別院、4番 大聖山真福寺、5番 清林山佛乗院、6番 神木山長徳寺、7番 金剛山平間寺(川崎大師)、8番 高尾山薬王院(高尾山)、9番 高幡山明王院、10番 田無山総持寺、11番 亀頂山密乗院、12番 寶勝山蓮光寺、13番 大聖山東朝院、14番 神霊山慈眼寺、15番 明王山聖無動院、16番 竹園山最勝寺、17番 瀧轟山明王院、18番 泰叡山瀧泉寺、19番 牛宝山明王院、20番 成田山東京別院、21番 川崎大師東京別院、22番 阿遮山円満寺、23番 砂尾山橋場寺、24番 龍光山三高寺、25番 皿沼山永昌院、26番 五智山遍照院(西新井大師)、27番 成田山川越別院、28番 星野山無量寿寺(川越不動)、29番 不動山白山寺、30番 玉嶹山總願寺(不動ケ岡不動)、31番 光岩山彌勒密寺、32番 普和山最上寺、33番 妙高山大聖院、34番 幸野山宝勝院、35番 阿舎羅山大聖寺(波切不動)、36番 成田山神護新勝寺(成田不動)
真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。
昭和62年(1987年)に開創された不動霊場。神奈川県・東京都・埼玉県・千葉県内にある36箇所の不動明王霊場寺院をめぐる札所。
1番 雨降山大山寺、2番 大雄山最乗寺(道了尊)、3番 成田山横浜別院、4番 大聖山真福寺、5番 清林山佛乗院、6番 神木山長徳寺、7番 金剛山平間寺(川崎大師)、8番 高尾山薬王院(高尾山)、9番 高幡山明王院、10番 田無山総持寺、11番 亀頂山密乗院、12番 寶勝山蓮光寺、13番 大聖山東朝院、14番 神霊山慈眼寺、15番 明王山聖無動院、16番 竹園山最勝寺、17番 瀧轟山明王院、18番 泰叡山瀧泉寺、19番 牛宝山明王院、20番 成田山東京別院、21番 川崎大師東京別院、22番 阿遮山円満寺、23番 砂尾山橋場寺、24番 龍光山三高寺、25番 皿沼山永昌院、26番 五智山遍照院(西新井大師)、27番 成田山川越別院、28番 星野山無量寿寺(川越不動)、29番 不動山白山寺、30番 玉嶹山總願寺(不動ケ岡不動)、31番 光岩山彌勒密寺、32番 普和山最上寺、33番 妙高山大聖院、34番 幸野山宝勝院、35番 阿舎羅山大聖寺(波切不動)、36番 成田山神護新勝寺(成田不動)
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。
奈良時代の僧、668~749年。百済系の渡来人。法相宗を学び諸国を巡って布教た。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが僧尼令違反として禁止された。後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
7世紀末に大和葛木山にいたという呪術者。修験道の開祖と仰がれ,神変大菩薩の勅諡号を受けた。秩序を乱したので699年に伊豆に流された。山岳信仰と密教とが合流するようになって修験者の理想像とされ、その足跡を伝える説話は多く伝えられている。
第42代天皇(在位:697年8月1日~707年6月15日)天武天皇・持統天皇の孫。草壁皇子の第一皇子。大宝律令を制定。万葉集、懐風藻に入集した。陵墓は奈良県高市郡明日香村栗原の檜隈安古岡上陵。
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。
第42代天皇(在位:697年8月1日~707年6月15日)天武天皇・持統天皇の孫。草壁皇子の第一皇子。大宝律令を制定。万葉集、懐風藻に入集した。陵墓は奈良県高市郡明日香村栗原の檜隈安古岡上陵。
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。