大山寺 


 寺社の種類:真言宗大覚寺派
 山号:雨降山
 創建の時期:天平勝宝7年(755年)、良弁が開基と伝えられる
 本尊:鉄造不動明王(重要文化財)
 札所:関東三大不動、関東三十六不動1番関東八十八箇所60番
 所在地:神奈川県伊勢原市大山724
 訪問日:2014年10月25日

 

大山寺は良弁が聖武天皇の勅願により創建したと伝えられる古刹です。江戸時代中期以降は大山詣でが盛んになり、大山詣でに向かう大山道が各地の整備されました。大山山麓には多くの宿坊が軒を並べ門前町として繁栄したと言います。

明治の廃仏稀釈により大山寺は大山阿夫利神社に改められ山腹にあった不動堂は破却されました。現在の大山寺は明治中期以降に本堂をはじめ数々の伽藍が再興されたものです。

大山寺の標柱
参道にはたくさんの石仏
急な石段を登ると本堂
手水場
大山寺の本堂
大山寺の扁額

ケーブルカーの追分駅を右に分けると八意思兼神社です。ここから右に折れる道は男坂、大山寺へは女坂を登って行きます。

本堂では読経が始まり
大山寺の案内板
大師堂
 

急な階段を登ると大山寺の本堂です。読経が始まっているようで般若心経が境内に木霊しています。本堂の脇には青銅製の宝篋印塔があります。また厄払い開運を祈るかわらけ投げもありました。

 
青銅製の宝篋印塔
厄除けかわらけ投げ
かわらけ投げ
鐘楼

古い石段には弘法の水、子育て地蔵、爪切り地蔵、逆さ菩提樹、無明橋(むみょうばし)、潮音洞(ちょうおんどう)、眼形石(めがたいし)とよばれる女坂の七不思議があります。案内板にはその各々に謂れなどが紹介されていました。

弘法清水
子育て地蔵
爪切り地蔵
逆さ菩提樹
無明橋
潮音洞(ちょうおんどう)
眼形石(めがたいし)
その他のコース・山行記録

 真言宗大覚寺派(しんごんしゅうだいがくじは)

真言宗の一派、古義真言宗に属する。大覚寺を大本山とする。

 

 不動明王(ふどうみょうおう)

五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだくと言います。

忿怒の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔をはらうとされています。

 

 関東三十六不動霊場(関東三十六不動霊場)

昭和62年(1987年)に開創された不動霊場。神奈川県・東京都・埼玉県・千葉県内にある36箇所の不動明王霊場寺院をめぐる札所。

1番 雨降山大山寺、2番 大雄山最乗寺(道了尊)、3番 成田山横浜別院、4番 大聖山真福寺、5番 清林山佛乗院、6番 神木山長徳寺、7番 金剛山平間寺(川崎大師)、8番 高尾山薬王院(高尾山)、9番 高幡山明王院、10番 田無山総持寺、11番 亀頂山密乗院、12番 寶勝山蓮光寺、13番 大聖山東朝院、14番 神霊山慈眼寺、15番 明王山聖無動院、16番 竹園山最勝寺、17番 瀧轟山明王院、18番 泰叡山瀧泉寺、19番 牛宝山明王院、20番 成田山東京別院、21番 川崎大師東京別院、22番 阿遮山円満寺、23番 砂尾山橋場寺、24番 龍光山三高寺、25番 皿沼山永昌院、26番 五智山遍照院(西新井大師)、27番 成田山川越別院、28番 星野山無量寿寺(川越不動)、29番 不動山白山寺、30番 玉嶹山總願寺(不動ケ岡不動)、31番 光岩山彌勒密寺、32番 普和山最上寺、33番 妙高山大聖院、34番 幸野山宝勝院、35番 阿舎羅山大聖寺(波切不動)、36番 成田山神護新勝寺(成田不動)

 

 聖武天皇(しょうむてんのう)

第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 宝篋印塔(ほうきょういんとう)

宝篋印陀羅尼という呪文を収めた塔。のちに供養塔、墓碑塔として建てられた。方形の石を下から基壇、基礎、塔身、笠、相輪と積み上げ、笠の四隅に飾りの突起があるものをいう。

 

 文武天皇(もんむてんのう)

第42代天皇(在位:697年8月1日~707年6月15日)天武天皇・持統天皇の孫。草壁皇子の第一皇子。大宝律令を制定。万葉集、懐風藻に入集した。陵墓は奈良県高市郡明日香村栗原の檜隈安古岡上陵。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

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