日連神社10:30~宝山11:10/15~日連山11:20~杉峠11:40~鉢岡山12:20/50~峰13:35/14:10~八坂山14:15~日連金剛山14:25/30~日連神社15:20
藤野には金剛山と名の付く山が幾つかあります。日連にある金剛山は藤野十五名山の一つに数えられ、藤野芸術の森の金剛山と区別するため日連金剛山と呼ばれています。またこの稜線は日連アルプスとも呼ばれネット上などにも山行記事が幾つか紹介されていました。
日連神社の前には数台が停まれる駐車場があります。登山口は民家の角を曲がってしばらく登ったところ、電信柱の脇からは落ち葉に覆われた山道が始まります。
登山道には新しい道標が建っています。山レコに紹介されていたコースは崩壊個所があるようで、宝山への登山道は少し先の固定ロープが張られた急坂に変わっていました。
ひと登りすると木立に覆われた稜線の登りが始まります。葉を落とした枝先からは陣馬山や生藤山の稜線が見え隠れしているようです。たどり着いた宝山は木立に包まれた小さなピークで三角点が置かれていました。
ここからは小さなコブをたどる心地よい尾根歩きの道です。登り返した小さなコブが日連山、木立に覆われた山頂には道標が建っていました。
尾根道はやがて杉峠へと下って行きます。ここは鉢岡山と金剛山の道を分けるところ、我々はひとまず鉢岡山に向かうことにしました。
落ち葉に覆われた道はほどなく新和田峠にたどり着きます。目の前には長閑な新和田の集落、その先には大室山や道志の山々が青空の下にそびえていました。
ここからは鉢岡山へと登って行く林道歩きです。しばらく登ると送電鉄塔、その先も細い林道が続いています。道端には柱だけとなった廃屋、事故車か廃棄車両なのか沢に落ちそうになった車もありました。近くまでは電信柱もあり電気が通じていたのでしょうが買い物など普段の生活はかなり厳しそうなところです。住んでいた人もここでの生活をあきらめたのでしょう。
林道の終点は広く開けたところで目の前には丹沢の展望が広がっています。明るい尾根道をひと登りすとと電波塔が建つ鉢岡山の山頂にたどり着きました。電波塔では10人ほどの若者がメンテナンスの作業をしていました。
目の前は展望が広がるところで大室山や道志の山々、その先には滝子山から小金沢の山々、大菩薩嶺の頂を一望することができます。
山頂には北条氏のものとされる烽火台跡があります。戦国時代には武田方小山田氏の岩殿城、北条方の八王子城や滝山城など2つの勢力がぶつかり合うところでした。このため周辺の頂にも幾つかの狼煙台があったようです。
山頂からは急な坂道を下ります。ミズナラなどの落ち葉が厚く積もる急坂は滑りやすく思いのほか気の抜けない下りです。たどり着いた杉峠からは金剛山へと登り返します。しばらく登ると「片道5分の寄り道をしませんか」と書かれた道標がありました。
この分岐を右に、目の前が開けた峯と呼ばれるコブに立つと広い展望を楽しむことができます。中央道を挟んで扇山や権現山、その奥には奥多摩の長い稜線を見付けることができます。笹尾根の土俵山の先にはわずかに雲取山の山頂も見えているようです。
峯のベンチで展望を楽しんだのち八坂山に向かいます。ここも展望が開けるところですが木立が伸びすぎ今一つと言ったところです。山頂からは八坂神社へと下る道もあるようです。峯の山頂で出会った軽装の若者はこちらに下って行ったようです。
分岐に戻り緩やかに尾根道を進むと日連金剛山の山頂です。木立に覆われた山頂には金剛山神社の社が祀られていました。近くに立つ由緒書きには明治時代に杉集落が大火で焼失、そのため古峰神社のお札を金剛山神社に納め火伏を祈願したと書かれていました。
金剛山神社からは日連に下ることにします。参道は思いのほか急な下りです。歩く人も少ないようで厚く積もった落ち葉で滑りやすい気の抜けない坂道でした。
たどり着いた県道からは20分ほどの舗装道路歩き、途中に店を出していた直売所で野菜などを買い求めたのち車を停めた日連神社に戻りました。