上日川峠10:25-(0h45m)-1765m付近11:10/15-(0h25m)-大菩薩峠11:40/50-(0h55m)-大菩薩嶺12:45/13:15-(0h10m)-落葉松尾根分岐13:25-(1h00m)-上日川峠14:25
中里介山の長編時代小説の舞台となった大菩薩嶺は日本百名山にも選ばれた展望の山です。長兵衛ロッジまで車が入ることが出来るため2,000mを越える山としては子供連れでも容易に山頂に立てる山としても知られています。
道の駅甲斐大和近くから県道を登って行くと日川ダムです。冬期間は閉鎖になる県道には遅い桜の花が咲き残っていました。
長兵衛ロッジが建つ上日川峠の駐車場には平日にもかかわらず数台の車が停まっています。しかしこの時期は訪れる人も少ないようで長兵衛ロッジの営業は始まっていません。
登山道はまだ芽ぶきも始まっていない唐松林の中を緩やかに登って行きます。小さな登りに体も温まり始めるころ福ちゃん荘にたどり着きました。平日のためか福ちゃん荘もまた営業をしていないようです。
林道と合わせた道は富士見小屋へと向かいます。晴れていれば富士山が見えると言うところですが白く濁った空の中にその姿を見付けることは出来ません。さらに小さく下ると中里介山が大菩薩峠を執筆したと言う勝縁荘です。
ここからは荷揚げに使うと言う車道を緩やかに登って行きます。冬期間は凍結するようで道端には融雪剤の袋も置かれていました。
たどり着いた大菩薩峠には介山荘が建っています。小屋前の広場には写真などにも紹介される大菩薩峠の道標、その脇には首の落ちた石仏が祀られています。
ここは南アルプスを眺める好展望台として知られるところですが、春霞みに包まれた空の下にはその山陰さえも見付けることは出来ません。僅かに霞んだ日川ダムが見えているだけでした。
大菩薩峠からは笹原の明るい稜線を登って行きます。小さな露岩帯があるものの心地よい尾根歩きが楽しめるところです。しばらく登った所が親不知ノ頭、その先は塞ノ河原で立派な避難小屋が建っていました。
この付近がかっての大菩薩峠が通っていたところで、甲州街道の裏街道として塩山と小菅村を結んでいたと言います。「大菩薩峠は江戸を西に距さる三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険わしきところ、上下八里にまたがる難所がそれです・・・」で始まる小説大菩薩峠の舞台はまさにここから始まったのでしょう。
さらに稜線を登って行くと標高2000mの道標が建つ神成岩、さらに登ると落葉松尾根の分岐となる雷岩にたどり着きました。
大菩薩嶺の山頂からは暗いシラビソの林を緩やかに登った所にあります。三角点が置かれた山頂は展望のきかない広場で、犬を連れた夫婦連れが昼食の最中です。我々も道端に腰を下ろし昼食にしました。
帰りは唐松尾根を下ることにします。笹の稜線から落葉松林の中を下る道は1時間ほどで長兵衛ロッジへと下ることが出来ました。
まだ芽ぶきには少し早いものの、2000mの頂は心地良いハイキングの山でした。