日本百名山にその名を連ねる大菩薩嶺、花の百名山にもギンバイソウ、スズランの咲く山として知られた山です。上日川峠の長兵衛ロッジまで車で入れるようになってからは、小さな子供連れでも比較的簡単に山頂に立てることから、ハイキングの山として週末は多くのハイカーでにぎわう山です。
中央自動車道を勝沼インターで降り、国道20号線を少し戻ると甲斐大和です。ここで道を左に。日川渓谷に沿って登って行く道は戦国の雄、武田氏終焉の地です。織田、徳川の連合軍に攻められ新府城を捨てた武田勝頼は、鳥居畑の戦でその最期を迎えたと言われています。近くには武田氏の菩提を弔う景徳院があると言います。
車の流れも少ない県道は上日川ダムへと緩やかに登って行きます。左手にそびえるロックフィルダムを越えると、道は落葉松の明るい林の中を緩やかに登って行くようになります。やがて駐車場が見えると登山口であるロッジ長兵衛の前にたどり着きました。
ロッジ長兵衛からは落葉松の林の中を福ちゃん荘へと登って行きます。明るい落葉松林の中を緩やかに登って行く道にひと汗を流すと、大きな福ちゃん荘の脇にたどり着きました。道端にはクリンソウがピンクの花を付けています。
福ちゃん荘の前から左手に分かれる道は唐松尾根を登って行く道。今回は展望の良い尾根沿いの道を登ることにします。林道をしばらく歩くと勝縁荘です。昭和初期の別荘といった雰囲気の建物で、中里介山が大菩薩峠を執筆したところと言います。
ここからも緩やかな山道が続いています。介山荘まで車が入っているようで、所々にすベリ止めの土などが置かれています。ジグザクを繰り返しながらたどり着いた稜線の上には大きな介山荘が建っていました。ここまで車が登ってくることもあって、宿泊にみやげ物、それと食事など。大菩薩がお弁当を持たなくても登られる山になったのも肯けそうです。小屋の前には大きな大菩薩峠の標柱と首の落ちた石像がひとつ。晴れていれば目の前には南アルプスの峰々、富士見新道の先に八ヶ岳も見えると言いますがあいにくの曇り空に視界は今一つです。
小屋の前のベンチで一休みしたのち、明るい笹尾根を緩やかに登って行きます。露岩の目立つ小尾根を登ったところが親不知ノ頭。小さく下った按部がその昔の大菩薩峠と言う賽ノ河原です。避難小屋の建つ一帯には小さな石積みが彼方此方に作られていますが、仏像などが祀られていないこともあり、あまり抹香臭さが感じない賽ノ河原です。
ここからは明るい稜線を雷岩に向かって登って行きます。ミツバツチグリの黄色い花が咲く登山道には目立った花は咲いていません。それでも目を落とすと草原の中にフデリンドウが小さな花を付けていました。
雷岩で唐松尾根を登ってくる登山道を合わせると、シラビソ林の中を登って行く薄暗い道になります。たどり着いた大菩薩嶺の山頂は丸川峠へと向かう道の通過点と言ったところで小さな標柱と三角点が建っていました。
山頂からは雷岩のに戻り昼食です。広く開けた小さな岩場の上からは曇り空の下に上日川ダムの人造湖である大菩薩湖、わき上がる雲の中からわずかに富士山の山頂が顔を出していました。白く霞む梅雨空の中に甲斐駒ヶ岳や北岳、農鳥岳などの峰々も霞んでいるようですが、何時まで経ってもスッキリとその姿を見せてはくれませんでした。
昼食ののち、ふたたび展望の良い稜線を下り介山荘へ。介山荘で最後の展望を楽しんだのち、車を停めた駐車場まで戻りました。
花の百名山に選ばれた山にもかかわらず、大菩薩嶺にはあまり目立った花はありません。山麓の林の中に咲き残っていたミツバツツジ、富士見新道には笹原の中に赤いツツジが彩りを添えていましたが、花の数はそれほど多くはないようでした。