今年最初の山は奥秩父の大持山と小持山です。この山は山登りを始めたころに訪れたことのある山で、奥武蔵の入門コースの一つとしてガイドブックなどでも紹介されているところです。春先の明るい光の中で妻坂峠から登った稜線にカタクリの花を見付けた記憶が今も残っています。
関越道の花園インターから秩父に市内を通り抜け、白い土ぼこりを上げる横瀬の採石場のそばを登って行くと武甲山の登山口でもある一ノ鳥居の駐車場にたどり着きます。今この駐車場は大きく広げられ、休日にもかかわらず柵の造成作業が行われていました。かなり多くの車が停まっていましたが、妻坂峠へと向かう人はあまり多くないようです。
砂利が敷かれた車道を進むと左手に妻坂峠への登山道が分かれています。暗い杉林の中を登って行く道は一度車道を横切った後、右手の稜線に向かって登って行きます。雑木林の斜面を巻くように登って行くと視界も開け、冬枯れの梢の先に武甲山がその姿を見せてくれました。ここから眺める武甲山は石灰岩採石の爪跡も見えず、杉林がその山肌を覆っています。
たどり着いた妻坂峠は名郷と生川を結んだ峠で、鎌倉街道の一つ秩父道が通っていたところです。畠山重忠が鎌倉に出仕するとき、その妻がこの峠まで見送ってくれたから名付けられた峠と伝えられています。
ここからは木漏れ日を浴びる雑木林の中の登りです。しばらく登ると登山道は急な坂道になります。数日前に降ったのか、融け残った雪が登山道に薄く残っていますが気温が低いためかそれぼど滑りそうにありまません。
急な登りに息を切らせながらたどり着いた小さなコブで小休止です。冬枯れの梢の先には大持山の頂上が見え隠れしていました。
明るくなった稜線をひと登りすると鳥首峠から登ってくる登山道を合わせ、大持山の肩にたどり着きました。ここは展望が広がるところ、目の前には伊豆ヶ岳など奥武蔵の長い稜線、その奥には堂平山から続く奥武蔵グリーンラインが通る稜線が続いています。遠く冬空の中に溶け込むように霞む山影は筑波山でしょうか。ここから94km離れた頂です。
ここから細くなった稜線をひと登りすると大持山の山頂です。露岩が目立つ山頂には頭が欠けた三角点もありました。目の前は木々が刈り払われ、逆光の中に青黒いシルエットとなった奥多摩側の山並みを眺めることができます。その山肌は白い雪が張りついていました。
大持山からは狭くなった稜線をたどりながら小持山に向かいます。明るい雑木林の稜線は思いのほか露岩の多いところで、小さな岩場などある変化に富んだ尾根道です。見上げるような岩場を回り込みながら小さなコブの上に立つとそこは視界が開けた岩場の上です。ふりかえると大持山の頂が目の前にそびえていました。
小さく下って登り返したピークが小持山の山頂です。目の前には大きな武甲山の頂、その左手には榛名の峰々、武甲山の右手には日光の山々も霞んでいるようです。
小持山からはシラジクボを目指して急な坂道を下って行きます。露岩の目立つ急坂は雪も残っていることもあり、滑りそうで思わず足にも力が入りそうです。ジグザグを繰り返しながら高度を落としていくとやがて登山道は防火帯のような広い道をたどるようになります。たどり着いた分岐はシラジクボと言われるところで、正面は武甲山へと登って行く道、左手には裏山口へと下る道が分かれています。
ここで道を右に。暗いヒノキ林の中を緩やかに下って行くと程なく左下に林道の跡が見えてきます。途中で道が崩壊し車が入っていないためか真っ白な雪が林道を覆っていました。
登山道は林道の脇をなおも緩やかに下って行きます。しばらく下った暗い林の中に古い石碑が建っていました。この道を右に進むと持山寺跡に登って行くと言います。
やがて登山道は武甲山の表参道にたどり着きました。ここからは舗装道路を一ノ鳥居へと下って行きます。武甲山へと登った人たちはすでに帰ったあとか、駐車場には我々の車だけが残っていました。