高社山は善光寺平の北東に位置する小さな山です。地元では高井富士ともたかやしろ山とも呼び親しまれている山で、信州百名山の一つにも数えられた北信州を一望する山です。古くからの信仰の山で、登山道に祀られた石仏や天狗の飛び岩、高社神社の奥ノ院である岩屋など。今も地元の人々の信仰を集めている山です。登山道は今回利用する谷厳寺側から山頂を目指すコースのほか、よませスキー場のゲレンデを登って行くコースも開かれています。
中野の町の中をしばらく走ると高社山の登山口である谷厳寺にたどり着きます。石灯籠の傍にある駐車場にはすでに2台の車が停まっていました。 登山道はぶどう棚の脇の坂道を緩やかに登り始めます。鳥脅しでしょうか、時々ドーンという花火の音があたりに響いてました。ほどなく登山道は谷厳寺の墓地に中を横切り、杉林の中を緩やかに登り始めます。木の鳥居をくぐると登山道の脇には釈迦如来の石碑が祭られていました。
緩やかに登山道を登って行くと天狗の飛び石と言う大きな岩が現れます。この山に住んでいた流僧坊大天狗の伝説を伝える岩で、岩の上には今も大天狗の手形が残っていると言います。ここからは杉林の中の急な登りが始まります。登山道の脇には信仰の山にふさわしく、観音菩薩や地蔵菩薩、勢至菩薩などの石碑が祭られています。息を切らせながら高度を上げて行く登山道にはイワカガミの赤い花が咲き乱れています。木々の梢では春ゼミの合唱も始まっていました。しばらく急な登りに汗を流すと土用場と言われる開けた草地にたどり着きました。
広く開けた草地で小休止。地元の山菜取りの人々でしょうか、初老の小母さんを含めた7、8名のグループ。ラジオのボリュームを上げ笹藪に中に入って行くようです。目指すのは細竹やワラビ。近くの道の駅などに出回っている山菜も、このようにして採られているようです。
土用場からは急な坂道を登って行きます。明るい稜線はスミレなど、春の野山を彩る花々であふれています。たどり着いた小さな頂には八幡社の小さな石の祠がありました。稜線からは展望が広がるものの、折からの好天で気温も高くなっているようで視界はいま一つ。目の前にそびえているはずの黒姫山や飯綱山なども薄い霞の中に沈んでいました。
ここからも再び急な登りに汗を流します。この稜線に咲くツツジはムラサキヤシオツツジ。うす茶色を帯びた若葉と濃い赤色の花は遠くからでもよく目立つツツジです。明るい稜線をしばらく登ると、左手にそそり立つ岩場の下には薬師如来を祭る高社神社の奥社が建っていました。床なども朽ちかけ、かなり年代を感じさせる社です。
小さな鎖場を越えると、ブナの林の中を登る真っ直ぐに登る急坂です。ジグザグに脇道が切ってありますがかなり急な登り坂です。ようやくたどり着いたピークは高社山の西峰。目指す高社山の山頂は緩やかになった尾根をひと登りしたところにあります。
山頂に建つ大きな展望台の上に立つと、少し霞んでいるものの広い展望を楽しむことが出来ます。目の前には長く連なる千曲川、その上には左手から飯綱山、高妻山、黒姫山、斑尾山とその上にそびえる妙高山と火打山。高妻山や妙高山は白い雪に覆われ、その山頂はまだ冬の世界から目覚めていないようです。左手にはアンテナを頭の上に載せた横手山、その左手には寺子屋峰から岩菅山にかけての長い稜線が続いています。その右手の急峻な頂は笠岳。その間には草津白根の山頂が見えるようですが、生憎の霞に沈み込みその姿を似せてはくれません。
山頂で昼食の後、車を置いた谷厳寺に向かい下ることにします。登りに比べ下りは比較的汗をかかないものですが、それでも土用場、観音菩薩像前のベンチで休息の度、水筒の水を飲んでしまいました。そろそろ水筒の水も多く必要になる季節が近付いているようです。
低い山と言いながら高社山も花の多い山です。登山道にはスミレのほかチゴユリなどが可憐な花を咲かせていました。小さな薄紫の花はニシキゴロモでしょうか。ほかの山ではあまり見かけない花です。またこの山はイワカガミの花が多い山です。登山道の彼方此方に赤い房のような花が咲き乱れていました。
山頂近くの尾根道にはムラサキヤシオツツジが咲いていました。薄茶色を帯びた若葉と大きな赤い花は遠くからもよく目立つツツジです。