今年の春、表尾根をたどり丹沢山への長い登山道を登ってみました。しかしガイドブックやインターネットを探してみると、塩水橋から丹沢山へ直接登る登山コースもあるようで、中には日帰りで丹沢山を越えて蛭ヶ岳を目指す健脚もいるとか。今回はとりあえず塩水橋から丹沢山を目指してみました。
塩水橋からはゲートを潜り抜け、本谷林道を登って行きます。右手では古くなった橋を架け替えるための工事が行われています。右手に堂平へ向かう林道を分け、本谷川の水音を聞きながら林道を登って行くと小さな天王寺橋です。ここからは右手の暗い檜林の中を登る登山道が始まります。
しばらく暗い檜林の中を登って行くと鹿よけの柵が張られていました。ここからひと登りで天王寺尾根の稜線にたどり着ます。たどり着いた稜線も檜林の中を登る急坂で、木の間越しに三ッ峰の尾根が見えるものの展望を楽しむことはできません。
急な登りに息を切らせながら展望の利かない稜線を登って行きます。左手の樹の間からは見慣れた大山からヤビツ峠への稜線が見えています。何度か小休止をしながら、あまり変化のない稜線を登って行きます。やがて堂平から登ってくる道を合わせると、明るい潅木に覆われた尾根を登るようになります。さらにしばらく登ると右手が谷に向かって切れ落ちているガレ場にたどり着きました。振り返ると今登ってきた天王寺尾根の向こうに三角形の大山。その左手には大山三ッ峰の稜線が霞んでいました。
付近はそろそろ秋のけはいが漂い始めています。道端には秋の野山を彩るリンドウの花、すでに花の時期は終わりに近づいたようですが大きなオヤマボクチが咲いていました。漢字では雄山火口と書かれる花は、花の裏側の穂綿を火打ち石の火口(ほぐち)としたことから名付けられたと言います。
道端で一休みした後、そろそろ紅葉が始まりかけた雑木林の中を山頂へと登って行きます。高山植物の保護のためか、木道が敷かれているところもあります。明るい雑木林の稜線をひと登りすると広く開けた丹沢山の山頂にたどり着きました。
ベンチが置かれた広い山頂は木立に覆われ、わずかに木々の間から蛭ヶ岳の山頂が見えるだけです。今年の6月、この山頂を訪れたとき営業していたみやま山荘は、建て替え工事のため取り壊され、ヘリコプターで運ばれた資材があちらこちらに山済みされています。数名の大工さんが忙しそうに土台の工事をしていました。このような山頂での工事は資材の運び込み、水の便、山の上に泊まり込むことなど、下界での工事に比べかなり大変なものでしょう。
山頂のベンチで大休止。これから塩水橋に下るか塔ノ岳から長尾尾根を下り塩水橋に戻るか迷ったあげく、塔ノ岳に向かうことにしました。しばらくすると塔ノ岳方面から数人の人が登ってきます。中年の夫婦連れのほか、単独の若者も数人。百名山が脚光を浴びるようになってから、若い登山者も多くなってきたようです。
このコースは今年の6月にもたどったことのある道です。明るい尾根道を下って行くと竜ヶ馬場です。午前中は晴れていた空も午後になると雲が出始め、稜線の先にそびえるはずの塔ノ岳はすでにガスで覆われていました。
幾つかのコブを超えると塔ノ岳への登りです。最後の急な登りに汗を流すと尊仏山荘の建つ山頂です。振り返るとガスの中に不動ノ峰。山肌に刻まれた急峻な崖はユウシン沢へ切れ落ちています。晴れていればその奥に見えるはずの蛭ヶ岳はガスの中に溶け込み、その姿を見せてくれません。立ち寄った尊仏山荘の小屋番は30歳くらいの髭のお兄さん。この山荘でも大蔵からボッカでの荷揚げを行っているとか。慣れれば30キロの荷物を背負って大蔵尾根を3時間弱で登れると言います。
山頂で一休みした後、新大日を目指すことにします。すでに1時を過ぎているにもかかわらずまだ山頂を目指す人が登っています。やがて木ノ又小屋を過ぎると新大日です。目の前にそびえる三ノ塔を眺めながらベンチに腰を下ろし小休止です。
新大日から道を左に折れ長尾尾根を下って行きます。明るい雑木林の中を下って行く尾根道はあまり人が歩いていないのか、落ち葉が厚く道を覆っています。緩やかに下る登山道は歩きやすいものの足の調子はあまりよくありません。右手に札掛へ下って行く道を分けると、道は杉に覆われた尾根道となります。
緩やかに下って行く登山道は上ノ丸のピークを巻くようにして下って行きます。しばらく急な斜面を下って行くと分岐点にたどり着きました。ここで道を右に。ひとまず札掛に出たのち塩水橋に向かうことにします。暫くすると辺りは闇に包まれ、鹿のけたたましい鳴き声が響いていました。
ようやくたどり着いた札掛からは県道を塩水橋へ。舗装された県道は街燈も無いものの、山道よりは歩きやすいものです。物見峠の入り口からしばらく進んだところで、親切な車に拾ってもらい塩水橋にもどりました。