丹沢は深田久弥氏の選になる日本百名山に数えられた山です。1,500メートルをわずかに超える中級山岳でありながら、百名山に加えた理由として、「個々の峰ではなく、全体としての立派さからである。丹沢山塊という名称は、多分、高頭式の日本山岳志から始まったのだろうと思うが、ただ表尾根を歩くだけでなく、その奥深く入れば、山に規模は大きく複雑で、容易にその全貌をつかめない」と言っています。丹沢山や蛭ヶ岳はまさにそのような山域です。
丹沢山への登山道としてガイドブックなどに紹介されているコースは、ヤビツ峠または大倉から塔ノ岳へ、ここから丹沢山に登るコース、塩水橋から天王寺尾根を越え丹沢山に登るコースなどがあります。何れ長い尾根歩きが必要となるコースです。今回はヤビツ峠近くの菩提峠から表尾根をたどり塔ノ岳の山頂を越え、丹沢山へ登ることにしました。
菩提峠の広い駐車場に車を停め、杉林の中の急坂を二ノ塔へと登って行きます。日本武尊命の足跡を右手に分け、急な坂道をひと登りすると二ノ塔の山頂です。
表尾根は小さなアップダウンが延々と続く尾根道です。二ノ塔から小さく下って登り返すと三ノ塔です。真っ青に晴れた青空の下、目の前には大きな富士山が霞んでいました。
三ノ塔からは急な下り坂が待っています。岩だらけの急な坂道を下り、登り返したコブが烏尾山です。ここにも小さな烏尾山荘が建っています。烏尾山の次のコブが行者岳です。ここにも小さな山小屋が建っています。山小屋の先は小さな岩峰で高さ20メートルほどのくさり場もあります。ここから緩やかに登り返したところが書策小屋です。気温もかなり高くなっているのか、なかなかペースも上がってくれません。
見上げる尾根道の先には塔ノ岳の山頂に建つ尊仏小屋が手に取るように見えます。しかし山頂まではまだまだ時間がかかりそうです。しばらく登ったところは新大日。ここにも新大日小屋が建っていました。さらに明るい尾根道を登っていくと木ノ股小屋です。振り返ると登ってきた登山道の先に三角形の大山がそびえていました。
木ノ股小屋からは再び明るい稜線を登って行きます。登山道の両脇には「鹿の採食から植物を守るため・・」と書かれた標識が立ち、鹿よけのネットが張ってあります。この山域も鹿の数が多くなり、鹿による被害が広がっているようです。
またこの稜線は土砂の流出などで崩壊が進み、沢に向かって急に切れ落ちているところもあります。そのため登山道を丸太で補強したり、木の階段を取り付けたり、植物の生育を助けるため麻布で登山道の両脇を覆っているところもあります。たくさんの登山客で賑わう丹沢では、このような取り組みが無ければ山の自然を守れないのでしょう。
潅木に覆われた急な坂道を登り詰めると塔ノ岳の山頂です。目の前には霞んだ富士山。ユウシン沢を隔ててそびえる山々は檜洞丸、蛭ヶ岳、不動ノ峰、丹沢山など丹沢最深部の山々です。
塔ノ岳の山頂で昼食の後、丹沢山に向かうことにします。ここからはなだらかな尾根道が続いています。日高という小さなコブを超え、登り返した明るく開けた斜面が竜ヶ馬場です。振り返ると山頂に尊仏山荘を乗せた塔ノ岳。その先には三角形の大山がそびえていました。
竜ヶ馬場からは再びなだらかな尾根道を登って行きます。道端には白いガクウツギの花が咲いていました。夏山の丹沢を彩るコバイケイソウの白い花が咲くのはまだしばらく先でしょうか。山頂まで600メートルの指導標に励まされるように広い尾根道を登って行きます。深く掘られた登山道を保護するためか、所々に木道が敷き詰められています。急な坂道をひと登りすると丹沢山の山頂です。
山頂は広く開けた草地の頂で、周囲を木立に覆われ展望はまったく望めません。日本百名山丹沢山の標識がぽつんと立っていました。山頂の木立の中にはみやま山荘が建っています。小屋の中に入ると「ボッカに行ってくる。ジュース、お酒、バッジ、各500円・・」と書かれた張り紙がありました。この山小屋ではまだボッカに頼っているようです。どこから荷揚げをしているかは判りませんが、山小屋を維持するのもなかなか大変なものです。
丹沢山からは往路をたどり登山口に戻ることにします。さすが疲れているようで、下りといいながら小さなアックダウンの続く尾根道はなかなか辛いものです。たどり着いた塔ノ岳の山頂で小休止。時計はそろそろ3時を指していました。すっかり人気の少なくなった山頂からは今下ってきた丹沢山の山頂。青空の中にはまだ富士山がかすかに霞んでいました。
ここからはアップダウンの多い尾根道を下って行きます。さすが疲れたようで新大日小屋、烏尾山で休息を繰り返した後、急なガレ場を登り三ノ塔へ。二ノ塔から石の多い坂道を下って行くと程なく車を停めた菩薩峠です。