香川駅10:25~白峰寺11:10/15~宝蔵院11:35/40~41.0m三角点11:50~来迎寺12:10/15~蓮妙寺12:30/45~茅ヶ崎里山公園ベンチ12:50/13:15~腰掛神社13:25/30~善谷寺13:40/45~妙伝寺14:15/30~羽黒大神14:35~正覚院14:50/55~健彦神社15:05/10~文教大学バス停15:20
茅ヶ崎の小出川周辺の田園地帯に祀られた七福神です。1月4日から31日まで恒例のスタンプラリーが開催されています。
●寿老人・白峰寺、住所:茅ヶ崎市下寺尾1551 |
●大黒天・宝蔵院、住所:茅ヶ崎市行谷318 |
●恵比寿神・来迎寺、住所:茅ヶ崎市芹沢3291 |
●弁財天・蓮妙寺、住所:茅ヶ崎市芹沢2472 |
●福禄寿・善谷寺、住所:茅ヶ崎市芹沢1137 |
●毘沙門天・妙伝寺、住所:茅ヶ崎市堤1032 |
●布袋尊・正覚院、住所:茅ヶ崎市堤3681 |
歩きはじめは相模線の香川駅です。寒川神社参拝のため大正10年に開設された相模鉄道でしたが昭和19年(1944年)国有化で相模線になりました。現在は橋本と茅ヶ崎間を結ぶ路線ですがあまり運行本数は多くないようです。
降り立った香川駅の駅前からは背丈の低い住宅地の中を小出中通りに向かい歩き始めます。
この周辺は江戸の名奉行と言われる大岡越前守ゆかりの地です。大岡越前通りの浄見寺には大岡越前守忠相の墓があると言います。
香川駅周辺では道標なども見当たらなかったものの、この付近からは赤い奉納旗が道沿いに建っています。
最初に訪れたのは白峰寺、曹洞宗のお寺で相州小出七福神の寿老人が祀られているところです。
天文13年(1544年)ごろの創建といわれ、本堂は大正14年(1925年)火災で焼失、昭和2年に復興されました。
天明元年(1781年)に江戸から白衣観音が移され、子育て観音として信仰されてきました。観音堂には見上げる白衣観音、その背後には仏教絵が描かれています。
今では犬猫などのペットを葬る寺として知られ、動物愛護協会による動物慰霊祭も行われています。
小出川の河川敷に沿った道をしばらく進むと大黒天が祀られた宝蔵寺です。
天正8年(1539年)ごろの創建といわれ、本堂は昭和45年再建。
明治6年この寺に時習学舎という学校が設けられました。学校制度を整えるという明治政府の指針により建てられた公立学校で、現在の小出小学校のルーツとなりました。
宝蔵寺からは来迎寺に向かいます。途中、三角点を拾いに急な石段を登りました。三角点は竹藪の中、GPSがなければ見付けることはできそうにありませんでした。
のどかな小出川の河川敷を進むと恵比寿天を祀った来迎寺です。
新編相摸国風土記稿には「芹沢山と号す、浄土宗増上寺末、本尊阿弥陀」と記載されているお寺です。
小出川の流れは東に向きを変えます。明るい里山の道をしばらく進むと蓮妙寺です。ここは日蓮宗のお寺、弁財天が祀られています。
ここは元亀3年(1572年)小田原にあった蓮成寺を当地に移して、現在の名称に改めたといいます。
弁天堂は小さな池の中にあり弁財天は拝観できませんでした。
時計はそろそろ1時になろうとしています。茅ヶ崎里山公園はバーベキューなどもできる大きな公園です。丘の村近くの東屋でお握りにしました。目の前には大きな大山、七福神めぐりの夫婦連れが川沿いの細い道を歩いています。
晴れているもののやはり寒さの真っ最中、公園に訪れる人はあまり多くないようです。
茅ヶ崎里山公園から細い道を進むと芹沢にある腰掛神社です。
社地の森林は市指定の天然記念物となっています。社名は日本武尊が東征の時に、この地で石に腰掛けて休んだという伝説に由来していて、本殿脇には、そのときの石と伝えられる大きな石(腰掛玉石)が祀られています。
震災で本殿と拝殿は一度壊れました。拝殿は震災後に修復され、現存の本殿は大正7年(1918年)に修復したものと言います。
腰掛神社からは福禄寿が祀られた善谷寺に向かいます。大きな墓地があるようで境内では庭木の整備などの車が出入りしていました。
天正6年(1578年)創建と伝えられています。昭和48年に本堂を改築。平成2年の春には本堂前に金銅の恵日観音が建立されました。
七福神の福禄寿は境内の小さなお堂に祀られていました。
善谷寺からは里山公園沿いの坂道を登って行きます。たどり着いた中央通りを左に、小出支所の先から急坂を下って行くと大岡越前通りです。ここを左に折れしばらく進むと妙伝寺です。ネットの中にはショートカットする道が紹介されていましたが良く判りませんでした。
たどり着いた妙伝寺は毘沙門天を祀るお寺です。
文禄元年(1592年)に、日安を開山として草創されたと伝えられています。山門前には天保9年(1838年)銘の万霊塔があり、境内の墓地入口右手には、昭和31年(1956年)に建立された「長閑さや 群盲の象を評しける」と刻まれた村井湖月庵の句碑があると言います。
納経は本堂の中へ、本尊わきの毘沙門天にお参りできるのはありがたいことでしょうか、疲れた足で正座するのはなかなか大変でした。
途中、僅かに道を折れ石段を登ると小さな社があります。
社の中には羽黒大神の石祠がありますが由緒書きなどは見つかりませんでした。
正覚院は布袋尊が祀られているお寺です。
駐車場わきの赤い山門には大きなお腹をした布袋尊の石像が祀られていました。
境内には「嗚呼九月一日」の石碑があります。関東大震災は相模湾沖を震源とした巨大地震、茅ヶ崎も大きな被害にあったようです。
この石碑は十三回忌の供養碑として建てられたものお地蔵さんの側には古い石仏が祀られていました。
近くには建彦神社があります。
諏訪神社の御祭神である建御名方命の建と、金山神社の金山彦命の彦から命名されたと言います。近郊の鎮守の社なのか境内には多くの名前が書かれた奉献碑がありました。
帰りはバスで茅ヶ崎駅へ、Googleの案内でたどり着いた文教大学のバス停からは30分ほどで茅ヶ崎駅にたどり着きました。