相模国の三之宮神社で大磯町国府本郷で行われる国府祭(こうのまち)に参加する相模五社の1社です。
神武天皇の時代に建立されたという古い神社で、大山を神体山として豊斟渟尊(とよくもぬのみこと)を祀ったことに始まると伝えられています。
相模一之宮である寒川神社、二之宮川匂(かわわ)神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥(さきとり)神社、一国一社平塚八幡宮を相模五社と言います。毎年神揃山で行われる国府祭では一之宮の座を争う座問答の神事が知られています。
杉の巨木に覆われた境内の奥には大きな拝殿があり三ノ宮冠大明神の幟が建っていました。
神社建築様式の一つ。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ流れで葺いてあるのでこの名がある。
正面の柱が2本であれば一間社流造、柱が4本であれば三間社流造という。奈良時代末~平安時代に成立し広く各地に流布しました。
第1代の天皇(在位:前660年1月1日~前585年3月11日)高天原から日向に降った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曽孫で、鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の第4子。船軍を率いて日向を出発し瀬戸内海を東へ進み玉とを平定した。橿原宮で初代の天皇の位についた。陵墓は奈良県橿原市大久保町の畝傍山東北陵。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。