前鳥神社は相模の国四之宮神社です。学問の神菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)、福禄の神大山咋命(おおやまくいのみこと)、安全の神「日本武尊(やまとたけるのみこと)を併せ、前鳥大神として祀る神社です。中でも菟道稚郎子命は百済国の阿直岐(あちき)から帝王の道を学び、ついで王仁を招き、論語や千字文などの学問の道を開いたと伝えられています。このことから合格祈願や就職成就にご利益があると言われています。
平塚八景は平塚市の市制施行50周年を記念して、平塚の代表的な景色・景観等を選定したものです。森の前鳥神社のほか平塚砂丘の夕映え、湘南潮来、八幡山公園、湘南平、霧降りの滝・松岩寺、七国峠・遠藤原、金目川と観音堂が選ばれています。
相模一之宮である寒川神社、二之宮川匂(かわわ)神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥(さきとり)神社、一国一社平塚八幡宮を相模五社と言います。毎年神揃山で行われる国府祭では一之宮の座を争う座問答の神事が知られています。
大年神(おおとしかみ)と天知迦流美豆比売(あまちかるみずひめ)との間に生まれた神で、須佐之男命(すさのうのみこと)の孫にあたります。松尾さまの愛称で全国的に崇められる酒づくりの神です。
日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。
神社建築様式の一つ。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ流れで葺いてあるのでこの名がある。
正面の柱が2本であれば一間社流造、柱が4本であれば三間社流造という。奈良時代末~平安時代に成立し広く各地に流布しました。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。
第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。