本覚寺 


 寺社の種類:日蓮宗の本山(由緒寺院)
 山号:妙厳山
 創建の時期:永享8年(1436年)、日出が開山
 本尊:釈迦三尊
 所在地:神奈川県鎌倉市小町1丁目12-12
 訪問日:2015年1月13日

 

本覚寺は日蓮宗のお寺、身延山の久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したため東身延とも呼ばれています。また鎌倉七福神の一つ恵比寿天を祀るお寺です。

大きな山門
案内板
恵比寿天堂
恵比寿天が祀られています
大きな奉納提灯
夷尊堂の扁額

源頼朝が鎌倉幕府の裏鬼門に当たる地に建てた天台宗の夷堂があり、日蓮上人はここに滞在し辻説法を行っていました。その後の永享8年(1436年)に一乗院日出が日蓮ゆかりの夷堂を天台宗から日蓮宗に改め本覚寺を創建したと言われています。

御手洗場
鐘撞堂
境内にお堂
仮本堂
境内は10日えびすの後片付け
裏山門

境内には大きな奉納提灯を吊るした夷尊堂があります。正月三が日は初えびす、10日には本えびすが行われていたようで境内にはテントや提灯の後片付けが行われていました。本堂は改修工事の最中で参拝は仮本堂で行われていました。

関連記録・コース

 日蓮宗(にちれんしゅう)

仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。

 

 釈迦三尊(しゃかさんぞん)

釈迦像を中央に脇侍きようじに二菩薩を配した仏像の形式。脇侍には普賢菩薩(ふげんぼさつ)文殊菩薩(もんじゆぼさつ)の二菩薩を配するが多い。

 

 鎌倉・江の島七福神

鎌倉市・藤沢市にある8箇所の社寺から構成される七福神めぐりの札所。

浄智寺(布袋尊)、鶴岡八幡宮(旗上弁財天)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、本覚寺(夷尊神)、長谷寺(大黒天)御霊神社(福禄寿)江島神社(江島弁財天)

 

 鎌倉・江の島七福神

鎌倉市・藤沢市にある8箇所の社寺から構成される七福神めぐりの札所。

浄智寺(布袋尊)、鶴岡八幡宮(旗上弁財天)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、本覚寺(夷尊神)、長谷寺(大黒天)御霊神社(福禄寿)江島神社(江島弁財天)

 

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 日蓮(にちれん)・立正大師

鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房小湊の漁師の子という。17歳ころから鎌倉・比叡山などで11年間修行研鑽し、法華経こそ至高の経典であるとの確信を得、1253年故郷の清澄山頂で題目を高唱して開宗した。

 

 日蓮(にちれん)・立正大師

鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房小湊の漁師の子という。17歳ころから鎌倉・比叡山などで11年間修行研鑽し、法華経こそ至高の経典であるとの確信を得、1253年故郷の清澄山頂で題目を高唱して開宗した。

 

 普賢菩薩(ふげんぼさつ)

仏の真理や修行の徳をつかさどる菩薩。智慧の文殊菩薩とともに釈迦の脇侍。白象に乗り合掌している。

 

 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)

智慧をつかさどるとされる菩薩。普賢菩薩とともに釈迦に侍す。智慧の威徳を示す獅子に乗る。

 

 平治の乱(へいじのらん)

保元の乱(ほげんのらん)の後、平治1年(1159年)12月、京都に勃発した内乱。後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びつき、藤原信頼・源義朝による上皇幽閉、藤原通憲(信西)殺害という事件に発展した。しかし平清盛の計略によって上皇は脱出し、激しい合戦のすえ源氏方は敗北した。これ以後、平氏の政権が成立した。

 

 日蓮宗(にちれんしゅう)

仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。

 

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