群馬百名山に数えられる戸神山は沼田市の市街に小さく頭を持ち上げる里山です。特徴のある三角形の頂は関越道を走る車窓からも良く目立つ山です。また山麓には紫水晶を産出した鉱山があったようで、廃坑になった今でも鉱石を拾いに訪れる人もいると言います。
たどり着いた沼田インターから玉原湿原への道を走ると目の前に三角形の頂が見えてきます。市街地の狭い路地を進むと虚空蔵院の墓地です。目の前のサクラはピンクの蕾が膨らんでいますが咲き始めにはまだ数日かかりそうです。
戸神登山口9:20-(0h55m)-戸神山山頂10:15/40-(0h45m)-高王山11:25/12:00-(0h30m)-下発知分岐12:30-(1h20m)-戸神登山口13:50
虚空蔵尊の山門を巻くように車道を登って行きます。しばらく登ると雑木林の中の登山道が始まります。登山道にはチェーンソーアートなのかウサギやフクロウなどの彫像がありました。
標柱から道を左に分け鉱山跡コースの急坂へ。この山は近くの人の散歩コースとなっているようで、すでに山頂から下ってくる人もいました。古い坑道の跡なのか小さなくぼみの脇から岩壁を巻くように急な登りが始まります。
それほど危険な岩場ではないものの、アルペンムードを楽しめそうな岩混じりの急な登りが続いています。小さな鎖場を越えると山頂までは10分ほど、右手から雑木林の中を登ってくる巻き道を合わせると程なく広く開けた山頂にたどり着きました。
展望が開ける山頂には石灯篭と石祠が祀られています。霞んているため遠望は利かないものの目の前には上州三峰山、まだ雪を被って霞む稜線は上州武尊山でしょうか。振り返る山裾は子持山ですがその頂は雲の中に隠れていました。
山頂で出会った中年のハイカーは地元の人のようです。雲の中には赤城山、晴れていれば獅子岩の左手には遠く富士山の頂も見えると話していました。
山頂で一休みしたのち高王山へ向かうことにします。まだ芽ぶきも始まっていない明るい稜線にはアブラチャンの黄色い花が春の訪れを知らせてくれていました。
登山道は下発地へと下って行く道を右に分け、小さな尾根を巻きながら緩やかに下って行きます。
大きな広場となっている林道の終点からは高王山への登り返しが始まります。木の階段なども整備された緩やかな登りは程なく山頂にたどり着きました。木立に覆われた視界に恵まれない山頂には群馬テレビとNHKの中継施設があります。
この山頂はまた発地氏が築いたと言う高王山城のあったところと言います。沼田氏の内紛で沼田城を奪われた沼田景義が、この城を本陣としてその奪還を試みたと伝えるところです。景義は沼田城に入った後、金子美濃守の謀略で殺されその首は平八郎石に晒されたと言います。
山頂で昼食を楽しんだ後、山麓の観音寺を回り登山口に戻ることにします。芽ぶきが始まりかけた高王山の山麓にはクロモジやヤマブキの灌木を見付けることができます。また木立の中にはアイヌネギの新芽が出ているようです。しかしよく似た毒草にはイヌサフランやコバイケイソウの新芽など。良く判らない山菜に手を出すのは控えたほうが良さそうです。
杉林の暗い山道をしばらく下ったところは石尊山観音寺、明応9年(1500年)天山見亮禅師により創建された古刹です。古びた本堂の脇には新しく祀られた観音像や石塔、参道には干支に因んだ可愛らしい石像も並んでいました。
この周辺は春の芽吹きが始まったばかりのようで斜面には土筆やフキノトウが芽を出していました。
ここからは戸神山の山麓を巻くように登山口の駐車場へ。付近は春の芽吹きに包まれています。道端にはヒメオドリコソウやオオイヌノフグリ、民家に庭先にはトサミズキが黄色い花を付けていました。
車に荷物を置いた後、登山口の虚空蔵尊を参拝することにします。朽ちかけた石段を登って行くと霊空蔵の扁額を掲げる本堂が建っています。本堂を守って睨みを利かせる狛犬は右に丑、左が寅、このためか丑寅神社とも呼ばれているようです。境内には明治時代の苔むした奉納石碑も建っていました。
遅い上州の春ももう目の前にやってきています。戸神山から高王山の向かう明るい稜線にはアブラチャンの花が咲いていました。
山麓はオオイヌノフグリやヒメオドリコソウなどの春の花に覆われています。民家の庭先には梅の花が淡い香りを漂わせていました。