御沢キャンプ場-(0h05m)-登山口-(1h00m)-下十五里-(0h45m)-上十五里-(0h30m)-笹平-(0h40m)-地蔵山水場-(0h15m)-地蔵山分岐-(0h50m)-剣ヶ峰岩場1,550m 付近-(0h30m)-三国岳小屋-(0h40m)-1,695m付近-(1h20m)-切合避難小屋テン場(テン泊)
切合小屋テン場-(0h55m)-姥地蔵上-(0h35m)-2,000m付近-(0h30m)-飯豊山-(0h15m)-本山小屋・飯豊神社-(0h30m)-御秘所手前-(0h50m)-草履塚-(0h25m)-切合小屋テン場(テン泊)
切合小屋テン場-(1h00m)-1,700m付近-(0h25m)-三国小屋-(0h20m)-剣ヶ峰岩場-(0h35m)-地蔵山分岐-(0h55m)-笹平-(0h15m)-上十五里-(0h50m)-登山口-(0h05m)-御沢キャンプ場
飯豊連峰は飯豊山、大日岳、北股岳、烏帽子岳、御西岳、三国岳などの頂を持つ大きな山塊です。主峰である飯豊山は本山とも呼ばれ深田久弥の選になる日本百名山にも選ばれています。
古くからの信仰の山で山頂近くには飯豊神社の奥宮が祀られています。本山へと向かう登山道には草履塚や御秘所、御前坂など信仰の歴史を今に伝える名前が残っています。
民宿の看板が軒を並べる川入の集落から川沿いの狭い道を登って行くと御沢キャンプ場です。広い駐車場には既にたくさんの車が停まっています。新潟や会津など近郊のナンバーの車の他、足立など関東近郷の車も多いようです。
キャンプ場で登山届を提出したのち、林道をしばらく行くと登山口です。登山コースを記した案内板に前には飯豊山表参道川入口と刻まれた石柱と石灯篭が建っていました。
雑木林の中を登って行く登山道はほどなく荒れた急坂になります。雨などで土削られ木の根などがむき出しになった登山道は思いのほかきつい登りです。登山口の標高は550mほど、気温もかなり高くなっているようで額からは玉のような汗が噴き出してきました。
下十五里、中十五里、上十五里、笹平の標柱に励まされながら急坂を登ると横峰にたどり着きます。ここまでが登りの中でもきつい所です。明るくなった稜線上の登山道は地蔵山への道を右に分け地蔵の水場へ。たどり着いた水場は岩の間から冷たい水が湧くところです。
地蔵の水場から小さく登って行くと地蔵山への分岐です。この道端に腰を下ろしお昼にしました。ここの標高はまだ1450mほど、あまり標高が高くないこともありたくさんのアブが飛び回っています。北海道の山ではたくさんのブヨで悩まされた記憶がありますが東北の山もまた同じように虫に悩まされるところのようです。
一度小さな湿地帯を越えると登山道は剣ヶ峰の稜線に向かって登って行きます。視界は開け右手は雪渓が残った岩壁が沢に向かって切れ落ちています。ここからが剣ヶ峰の核心部分、やせた岩稜上に短い岩場が続いています。途中には鎖が張られた岩場もありました。
息を切らせながら岩場を登り詰めると三国岳の避難小屋です。小屋番の叔父さんは水を汲みに下まで行っているとか、この山小屋は天水に頼っているためか夏場には水不足で悩まされるようです。
三国岳からは明るい尾根道を種蒔山に向かって登って行きます。右手は沢に向かい切れ落ちているところもあります。ミヤマコウゾリナやミヤマママコナ、ミヤマキンポウゲなどの花を見ながら小さな頂を越えて行きます。地図の上には鎖場と記されていた岩場には真新しいアルミの梯子が掛けられていました。
七ッ森と呼ばれる岩場はガスの中です。先ほど登ってきた剣ヶ峰でも滑落による死亡事故も発生していると言いますが、ここ七ッ森や山頂直下の御秘所も滑落事故が多い所と言います。
細くなった岩場を越え急な登りに息を切らせると種蒔山です。お花畑が広がる山頂の肩を巻くと切合小屋がガスの中に見え隠れしています。
たどり着いた切合小屋も夏の間は管理人が常駐する避難小屋です。食事も提供されるようで今夜もたくさんの登山客が泊まるとか。玄関脇の休憩所ではすでにビール片手に登山談議に花を咲かせているグループもいました。
切合小屋のテン場は小屋の前後に2カ所、風も少ないという小屋から一段下った広場にテントを張ることにしました。
6時半過ぎ、目の前にそびえる草履塚を目指しての登りが始まります。左手には雲海の上に御神楽岳など只見線の山々が浮かんでいます。
たどり着いた頂は草履塚。飯豊山の登る登山者がここで草鞋を脱いだというところです。ここからは姥地蔵の鞍部に向かって小さく下って行きます。目の前には大きくそびえる飯豊山、左手には緑の斜面に残雪を残した御西岳、大きく頭を持ち上げるのは飯豊連峰の最高峰である大日岳です。
小さく下った鞍部には赤い帽子をかぶった姥地蔵が祀られています。飯豊山が女人禁制であった頃、その禁を破り山頂を目指した女性が石にされたと伝えられるところでです。
その先が御秘所(おひそ)と言われる岩場。左右が切れ落ちた細い岩稜の上を登って行きます。鎖場を登った先にもう一つ鎖があったようですが古くなったということで外したとか。高度感はあまりないものの、下りでは少し緊張するところです。
登山道は山頂手前の一ノ王子に向かって急登する御前坂になります。ジグザグに登る岩混じりの道に汗を流すと一ノ王子、なだらかになった稜線の先に飯豊神社の社殿と本山避難小屋が建っていました。
なだらかになった尾根を小さく登って行くと一等三角点の建つ飯豊山の山頂です。青く晴れ渡った空の下には360度の展望が広がっています。山頂からは続く稜線上を目で追いかけると御西岳、その先には山頂を雲に隠した大日岳がそびえています。
飯豊山を縦走するハイカーはここから御西岳へ、大日岳の山頂に立ち寄ったのち烏帽子岳、梅花皮岳へ向かうようです。我々と同じように山頂から切合小屋に戻るパーティも多いようでした。
山頂での展望を楽しんだのち切合小屋に戻ることにします。途中、御秘所の岩場の下りは最初の一歩の足場が悪く多少緊張するところです。途中で出会った人も飯豊山は思いのほかキツイ山と言っていました。
たどり着いた切合小屋ではまだ11時半前です。これから剣ヶ峰を下ると6時間、岩場の少ない新長坂を下り弥平四郎小屋へ下ると7時間近い時間がかかりそうです。予備食も1日分持っているので切合小屋でもう一夜を過ごしていくことにしました。
今夜ここで一夜を過ごすパーティも多いようで、お母さんと娘の2人連れ、テン場で酒盛りを始める4人組、我々と同じゴアライトのテントを持つ単独行が2組など、今夜のテン場はなかなか賑やかです。
目を覚ますと雲海の上から朝日が昇り始めています。まさにご来光、山の上でなければ見ることのできない景色に暫し時間を忘れてしまいそうです。
切合小屋からは三国岳小屋を目指します。登りではかなり重かったリュックも食材などが少なくなったためかそれほど重くありません。
たどり着いた三国岳小屋の叔父さんは話好きなようです。7月の梅雨明け以降雨の少ない日が続いているため水が不足していると言います。
三国岳からは細い岩稜に緊張しながら剣ヶ峰を下って行きます。岩場の途中には20人ほどのパーティが休憩していました。何処かの山岳会なのでしょうか、若いガイドが案内して岩場を登っています。中にはカナビラやシュリンゲなどを持っている人もいました。
地蔵山分岐で昼食をとったのち長坂を下って行きます。汗を流しながら登った急坂は下りもかなりきつい道です。
やがて下りに飽き始めるころ、御沢の登山口にたどり着きました。車を停めた御沢キャンプ場までは林道をひと歩きです。
飯豊山にはたくさんの花が咲いています。ミヤママツムシソウなど秋の花も咲き始めていますが三国岳小屋から山頂にかけての稜線には色とりどりの花を楽しむことが出来ます。
マルバコゴメグサも飯豊山の特産種です。ミヤマコゴメグサに似ていますが葉の付け根が丸いのが特徴と言います。
飯豊山に咲くウスユキソウはミヤマウスユキソウ、すでに花の時期は過ぎようとしているようです。葉も少し細いような感じがします。
イイデリンドウは飯豊山の特産種。ミヤマリンドウに似ていますが副萼片が直立することが特徴とか。飯豊山山頂付近にはイイデリンドウ、草履塚近くにはミヤマリンドウは咲いていました。