金剛山は修験道の開祖、役行者が修行した山として知られているところで、山頂付近には役行者が開いたとされる金剛山転法輪寺があります。深い杉林に覆われた山頂には葛木神社が祀られ、金剛山の最高点は社殿の裏あります。
金剛山は大阪近郊にあることからまた冬場は霧氷のを見ることができる山として多くのハイカーでにぎわう山で、登山者の数は富士山と肩を並べるとも言われています。この山には金剛山練成会があります。入会すると登山を証明するスタンプが押され毎年登山回数に応じて表彰が行われているようです。最高回数は1万回を越えるとか、転法輪寺の茶店前には回数登山の多い人の名前を掲示した掲示板も建っています。
登山道の一つ千早本道は太平記に語り継がれる千早城攻防の舞台となったところです。この狭い谷を鎌倉方の十万と言われる軍勢が埋め尽くしたのは700年も昔のことです。千早城址近くにはたくさんの駐車場があります。その一つに車を停め山頂を目指すことにしました。
登山口には土産物屋などが店を並べています。連休の最中ということもありたくさんの家族連れや中年のハイカーが山頂を目指しています。
NHKのテレビで金剛山には健康のため毎朝山頂を目指している人も多いという話が紹介されていました。早い人は山頂まで40分ほどで登るとか。お昼を買いに入った店の叔母さんも1時間ほどで山頂まで登ると言っていました。
暗い杉の林の中を登って行く登山道は千早城の脇の小さな沢をジグザグに登って行きます。千早城址へと登って行く道を左に分けた登山道は木の階段が整備された歩きやすい道です。
ジグザグを繰り返しながら登って行く道はやがて狭い稜線にたどり着きました。ここが登山道の中間点、木のベンチも置かれていますが木立に覆われて視界は期待できません。
ここからは再び急な階段の道を登って行きます。どこまでも続く階段の登りにあき始めるころ、山頂直下の分岐点にたどり着きました。ここで道を左に、小さな沢に沿った道を登ると転法輪寺の茶店前の広場です。
金剛山の山頂とされる国見城跡はすぐ左手にありました。明るく開けた広場はロープウェイで登ってきた小さな子供を連れた家族連れなどもあわせ、たくさんの人で賑わっています。晴れていれば大阪の市街、遠くは六甲山なども見渡せると言う広場ですが、曇り空の下では視界も望めません。
国見城跡からは葛木神社に向うことにします。古びた階段を登ると転法輪寺です。修験道の開祖と言う役行者が開いたとされる古刹で境内にはひさご池や鎮宅堂など。古い歴史を今に伝えるところです。
さらに見上げるほどの杉並木の間を登って行くと葛木神社にたどり着きました。古事記にも登場する葛城氏の先祖神一言主を祭る神社で金剛山の山頂は社殿の裏手にあると言います。金剛山は葛木岳、湧出岳、大日岳の総称で、転法輪寺の山号がそのまま山名になったものです。
葛木神社に参拝したのち、湧出岳に向かいます。湧出岳はロープウェイの山頂駅に向かう遊歩道から少し外れら小さな頂で、木立に覆われた山頂にはアンテナ塔と展望塔がありました。1等三角点が立つ山頂にはたくさんの三角点マニアが訪れているようで、山頂脇の木の枝には湧出岳と書かれたプレートが打ち付けられていました。
湧出岳からは転法輪寺を経て千早城跡に向かうことにします。途中には出迎え地蔵や岩屋文殊など古い歴史の臭いを伝える所もあります。
山頂で時間がかかりすぎたのか、登りではたくさんの人と一緒に登った登山道も、下りではほとんど人と出会うこともなく千早城址への分岐にたどり着きました。
分岐から杉木立の斜面を登って行くと暗い林の中に東屋。さらに暗い林の中を巻くように登ると千早神社です。ここが千早城の二の丸跡、太平記の中に語り継がれる千早城の攻防はここを舞台として繰り広げられたようです。千早城址の石碑など眺めながら下って行く大きな四ノ丸広場です。広場の一角には茶店もあり店番の叔母さんが気軽に話しかけて来ました。
五百数十段という長い石段を下ると千早城のバス停です。車を停めた駐車場は車道をしばらく下った所です。
秋の金剛山は思いのほかたくさんの花が咲いていました。国見城址近くの沢にはミカエリソウのほかオタカラコウの群生も見ることができます。