日本三景の一つに数えられる安芸の宮島は世界遺産にも登録され、朱塗りの大鳥居が海中にそびえる厳島神社はたくさんの観光客で賑わうところです。宮島は島全体がご神体と考えられることから、最高峰の弥山一体は瀰山原始林と言われる手付かずの自然が残されたところです。
ロープウェイが弥山近くの獅子岩まで運行されていることもあり、四季を通じたくさんのハイカーが山頂を目指していると言います。しかし海抜0メートルから歩くとしても500メートルを僅かに越える山。岩崎元郎氏「新日本百名山」の一つに数えてられていますが、百名山に選ぶにはあまりにも背丈が足りないようです。
宮島口に車を停めたのち、フェリーで宮島に渡りました。大鳥居を見上げながら参道を進むと朱塗の厳島神社。たくさんの観光客と一緒に厳島神社の参拝です。厳島神社からは大願寺、五重塔、千畳閣など、お馴染みの観光スポットを見物したのち弥山に向かうことにします。
弥山は標高529m。登山口は紅葉谷公園から登るコースのほか、大聖院や大元公園から登るコースが開かれている言います。紅葉谷から登ると山頂までは1時間15分ほど。あまり時間の余裕もないため、ロープウェイを利用して山頂に向かうことにしました。土産物屋の喧騒を離れそろそろ紅葉が始まった紅葉谷の散策路を緩やかに登っていくとロープウェイの紅葉谷駅です。
ロープウェイは標高差357mを一気に榧谷(かやたに)駅に運んでくれます。榧谷駅からは再びロープウェイで獅子岩駅へ。たどり着いた獅子岩駅は弥山の尾根上の小さな頂です。ここからは展望が開け、目の前には小高い弥山の山頂を望むことができます。付近一帯は弥山原始林と言われ、風化が進んだ白い岩とツガの緑が高山のような景観を見せています。遊歩道を小さく下って行くと右手から紅葉谷から登ってくる道を合わせ、弥山の山頂へと登り返して行きます。
遊歩道のような道をしばらく登って行くと広く開けた弥山本堂です。さらに石段を登って行くと三鬼堂、観音堂、文殊堂などのお堂が現れます。山頂直下のくぐり岩を過ぎると広く開けた弥山の山頂にたどり着きました。
山頂には鉄骨作りの展望台が建っています。展望台の上に登ると視界が開け、目の前には大奈佐美島とその先に江田島や西能美島、左に目を移すと瀬戸内海の島々がはるかに霞んでいます。展望台下のベンチに腰を下ろしてお弁当にしました。お弁当の最中、若い鹿が餌をねだって寄ってきます。若い鹿の後から大きな角を持った鹿が1頭。この付近のボスのようで盛んに鼻息を荒立たせ若い鹿を追い払っていました。
昼食の後は駒ヶ林を越え大元谷に下ることにします。大日堂から少し下ったところが大聖院コースへの分岐。ここで道を右に折れ、しばらく山道を進むと大聖院コースの分岐点です。大聖院コースは途中で崩壊したところがあるようで通行止めとか。我々は駒ヶ林を経て大元谷に下ることにします。分岐から小さく登り返すと右手に駒ヶ林に向かう道が分かれていました。駒ヶ林は長さ200m、高さ80mというい大岩で、宮島のもう一つの歴史である厳島合戦、最後の舞台となったところです。
弘治元年(1555年)10月1日、毛利元就の蝶略により宮島の宮尾城を攻めていた陶晴賢は、風雨をついて宮島に上陸した毛利元就の奇襲に遭い総崩れになったと言います。陶方の勇将広中隆包は主君を大元に逃した後、ここ駒ヶ林に立てこもり最後まで抵抗しましたが、吉川元春など毛利の軍勢による兵糧攻めにあい討ち取られたか。これの戦を契機に、陶氏は弱体し毛利氏による中国制覇が進んだと言います。
駒ヶ林からはうっそうと茂る広葉樹の林の中を大元公園に向かって下っていきます。道はよく整備されていますが、なかなか急な坂道が続いています。しばらく下ると勾配も緩やかになりモミやクスノキの巨木が繁る閑静な大元公園にたどり着きました。明るい林の中には大元神社の社殿が建っています。ここからはもう観光地。宮島水族館の脇を通り抜けると、後はたくさんの観光客で賑わう土産物屋の中を宮島港の桟橋に向かうだけです。
弥山は1200年前、弘法大師空海が開基したと伝えられところで、山頂周辺にはゆかりの寺やお堂、不思議な伝説が数多く残っています。小広く開けた広場に建つのは弥山本堂。ここは弘法大師が100日間の求聞持の修法を行ったところ言います。本堂の向かいには霊火堂があります。この火床の中の火は弘法大師が修法を行った際の霊火とか。1200年たった今も「きえずの火」として燃え続けている火で、この火にかけられている大茶釜で湧かした霊水を飲むと、万病に効果があり、幸いが約束されると言われています。でも堂の中は煙でくすぶり目を開けるのも辛そうです。
ここから山頂を周遊する石段には、三鬼堂、観音堂、文殊堂、大日堂、水かけ地蔵堂などのお堂が祭られています。山頂直下にはくぐり岩や弥山七不思議に数えられる干満岩がありました。干満岩は潮が満ちると小さな岩穴から水があふれる岩とか。しかし何所から水が吹く出すのか、俄かには判りませんでした。
駒ヶ林から大元公園に下って行くひっそりとした道にも歴史の名残が残っています。大きな岩の下に石像が安置された岩屋大師は弘法大師が修行したところとか、富士岩と言われる大岩もありました。