中国地方の最高峰である大山は深田久弥氏の選になる日本百名山の一つに数えられている山です。西側から見る大山は「伯耆富士」と呼ばれ、その姿は名前のごとく富士山を仰ぎ見るように端正な姿を見せています。しかし南側である鍵掛(かぎかけ)峠から見る大山はその姿を一変させ、切り立った山肌を露にする2つの顔を持つ山です。また大山は歴史と文化と伝説に包まれた山で、山麓には大神山神社(おおみわじんじゃ)、大山寺をはじめとする神社、寺社、仏像等が多くあると言います。
大山の標高は1728m。しかし山頂である剣ヶ峯への稜線は崩壊が進み、弥山から先は通行が禁止されています。このため実質の最高峰は弥山の1,709m。今回は夏山登山道と言われる明るい尾根を弥山へと登って行くことにします。
若桜町から国道483号線をしばらく上って行くと氷ノ山ふれあい館響きの森。目指す登山口はしばらく登ったキャンプ場の傍らにあります。大きな駐車場にはすでに数台の車が停まっていました。やはり関西や鳥取ナンバーの車が多いようです。
登山道の左手は常行谷と言われる谷で、明るい雑木林はそろそろ紅葉の真っ最中を迎えようとしています。三合目からは再び急な階段の道を登って行きます。高度を上げるに従い視界が開け、振り返ると大山寺の門前町。米子の街並みの先には真っ青な日本海が広がっていました。やがて小さな山ノ神の祠が現れると五合目です。
急な階段に息を切らせながら高度を上げていくと小さな非難小屋の建つ六合目。すでにたくさんの人が腰を下ろしていました。ここからは本谷を挟んで逆光を浴びる大山を眺めることが出来ます。山頂直下の北壁は本谷に向かって崩れ落ち、見る者を圧倒する迫力で迫ってきます。目の前の宝珠尾根はユートピア非難小屋を経て剣ヶ峰に続くようですが、ここも崩落が進み通行ができないとか。まさに大山は激しい崩落の中にさらされている山です。登山口の掲示板には山頂に石を持って登り、山頂の裸地や浸食溝を埋めようと呼びかけた一木一石運動を紹介していました。一緒に登っていた若者たちも小さな石を持って登っていました。
六合目から山頂の肩までも急な坂道が続いています。そろそろ森林限界を超えたようで明るい尾根道には潅木が目立つようになってきます。八合目の標柱から急な登りに汗を流すと山頂の肩にたどり着きました。ここからはダイセンキャラボクの群生地の中を登って行く木道が始まります。山頂から下ってくるハイカーとすれ違いながら木道を登って行くと、大きな避雷針が建つ山頂非難小屋。目指す弥山の山頂は非難小屋のすぐ上にありました。大山頂上と刻まれた小さな石碑の建つ山頂はたくさんの人で溢れています。我々も山頂直下の木道の上に腰を下ろしてお弁当にしました。
弥山の山頂からは崩壊の進んだラクダの背と言われる稜線、その先には剣ヶ峯の山頂が指呼の間に望むことが出来ます。谷川岳のように垂直に切れ落ちてはいないものの、元谷に向かって崩壊しているラクダの背は一般人には立ち入ることの出来ない世界です。振り返ると弓のような弧を描く弓ヶ浜と日本海、左手には島根の山々が低く連なっていました。
昼食の後、トラ縄の先の小さなピークまで足を延ばしてみることにします。狭くなった稜線を進むと三角点のある小さなピーク。数人のハイカーが昼食の最中でした。この先は両側が崩壊したラクダの背。ラクダの背から戻ってきた若者の話では「途中までは何とか行けるようですが小さなピークの先は両側が切れ落ち、さらにその先には浮石もあり、ビビッテ戻ってきた。行くならお気を付けて・・・」と言っていましたが行ける筈もありません。
山頂の非難小屋でバッチを買い求めたのち登山口に戻ることにします。下山は左側の木道をたどってダイセンキャラボクの群生地を散策することにします。ダイセンキャラボクはまさにオンコ。すでに時期は終わっているものの、眼を凝らすと真赤な実が残っているものもあります。緑色の種の入った甘い実は子供の頃に食べたオンコの実そのものです。
山頂の肩からは急な坂道を下って行きます。12時を過ぎたにもかかわらずたくさんのハイカーが息を切らせながら登ってきます。かなりの年配の人から小学校入学以前の子供まで。標高の割には比較的短時間で登れることもあってか、登る人の年齢も多彩です。
たどり着いた元谷分岐では、登りに見かけた調査会社の人が登山者のカウントをしていました。聞けば現在1,100名ほどが山頂を目指しているとか。紅葉の真っ盛りで週末ということもあるようですが、尾瀬ほどではないもののこの山もオーバーユースと言わざるを得ません。
元谷分岐からは急な木の階段を下って行くと登山道は元谷の河原にたどり着きました。右手には崩壊した大山の北壁をバックにスナップを撮るビューポイントの一つとか。一緒に下ってきた人も思い々にカメラを構えていました。枯れた元谷を渡ると大山寺へと下って行く治山道路が始まります。下から登ってきたのは何処かのツアー登山のようで、登山靴を履きリュックザックを背負っているものの今から山頂を目指すのは無理と言うもの。ツアーガイドの女性が「弥山から剣ヶ峰までは崩壊が激しく・・」などと説明していましたが、まさか自分で行ってきた訳ではないでしょう。
左手の沢の中に続く登山道をしばらく下って行くと大神山神社(おおみわじんじゃ)の社殿の前にたどり着きました。大神山神社は京都の大神山神社と同じ神社で大国主ノ命を祭る神社とか。さっそく神殿に参拝し交通安全のステッカーをGet。窓口でお話しをしてくれた神主さんの話しでは大国主ノ命は全国の神社で崇拝されている神様で色々な名前があるとか。四国の金毘羅さんでは大持主ノ命とも言われていると言います。また大には「もともと」という意味があり、大空は「もともとくう」であるという意味とか。かなり興味を引きそうな話しです。
大神山神社からは灯篭が建ち並ぶ参道を下って行きます。途中に大山寺に向かう道もありますが今日はこのまま駐車場に向かうことにしました。