満願寺 


 寺社の種類:真言宗智山派の寺院
 山号:出流山
 創建の時期:天平神護元年(765年)、勝道上人の開創と伝えられる
 所在地:栃木県栃木市出流町288番地
 訪問日:2013年3月21日

 

出流山満願寺は日光山を開山した勝道上人によって開創されたされたと伝えられる古刹です。奥の院である観音の霊窟には鍾乳石の十一面観音像が祀られていることで知られています。

出流山満願寺の山門
参道には大きな石柱
杉林の中に本堂
石段の右に慈光殿

広い境内にはたくさんの石仏や石塔が祀られています。本堂へと登って行く石段の手前には慈光殿、右手には不動明王や稲荷大明神が祀られていました。

境内には大きな池
慈光殿の石仏は千手観音に見えるが
彫刻が施された石燈籠
彫刻が施された石燈籠
定観講の不動明王
稲荷神社
石段の上に本堂
本堂の脇には石塔や石碑
灯篭の先に宝篋印塔
本堂には彫刻が施され
本堂の軒に奉納額
本堂には彫刻が施され

門前町には多くのお蕎麦屋さんがあります。星野三峰山の帰りにはいしやまの寒ざらし蕎麦を食べましたが、今回はいづる屋に立ち寄り蕎麦を食べて行くことにしました。

本堂脇に十三重塔
蕎麦屋いづるや
野菜天そば
ボリューム満点のそばがき

野菜天そばとそばがきを注文、土鍋で出てきたそばがきはボリュームもたっぷりでした。

関連記録・コース

 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)

真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。

 

 勝道(しょうどう)・勝道上人(しょうどうしょうにん)

奈良時代末から平安初期の山岳仏教の僧。下野の人。日光山を開き中禅寺を建てたと伝えられる。

 

 千手観音(せんじゅかんのん)・千手千眼観自在菩薩

六観音の一つ。限りない慈悲を表す菩薩で、千の慈悲の眼と千の慈悲の手をそなえ、生ある者を救うという。二七面四二臂の像が一般的。千手千眼観世音。千眼千臂観世音。

 

 坂東三十三観音霊場・坂東三十三ヶ所

源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。

 

 勝道(しょうどう)・勝道上人(しょうどうしょうにん)

奈良時代末から平安初期の山岳仏教の僧。下野の人。日光山を開き中禅寺を建てたと伝えられる。

 

 十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

六道を教化する六観音の一つ。11の顔と2臂または4臂をもった姿の観音。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 源実朝(みなみとさねとも)

1192~1219年、鎌倉幕府三代将軍。源頼朝の二男。1203年将軍となるが実権は北条氏が握った。鶴岡八幡宮社頭で甥の公暁に暗殺され頼朝直系の子孫は断絶した。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

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