道海泣き尾根登山口10:00-(0h10m)-道海泣き尾根取付点10:10-(0h10m)-970m付近10:20/35-(0h45m)-1240m付近11:20/30-(0h15m)-尾根分岐11:45-(0h45m)-博士山山頂12:30/13:20-(0h50m)-尾根分岐14:10-(0h30m)-1175m付近14:40/15:00-(0h45m)-大谷滝尾根登山口15:45-(0h15m)-道海泣き尾根駐車場16:00
南会津の博士山は珍しい名前の山です。博士山は「佩(は)かせ」の意味で神々が太刀を佩いて峰伝いに通ったことに由来するとか、稜線上の1442mの頂も社峰(やしろみね)と呼ばれ、御神楽岳に祀られていた伊佐須美神社が一時この頂に遷座されたと言います。日本書紀に登場する大和朝廷の東北平定の歴史の一こまが会津盆地を眼下に収めるこの地で繰り広げられていたのでしょう。
この登山口にもQRコードを利用した登山届の案内板がありました。しかしAUの携帯電波は不安定で結局登山届をメールで提出することは出来ませんでした。
登山道は雑木林の暗い沢を登り始めます。しばらくすると道海泣き尾根の取り付き点です。ここからは固定ロープが張られた急坂が始まります。
徐々に傾斜を増す急坂にはアルミの梯子、木の根や岩角につかまりながらの急な登りが続いています。赤や黄色に色付いた梢の先からは紅葉の中に白い岩壁がそそり立つ支尾根が見え隠れしています。
さらに木の根につかまりながら急坂を登って行きます。しばらく登った大きな岩の下にしゃくなげ洞門、左手に社山へと向かう稜線が近付いてくると稜線分岐にたどり着きました。
ここからは道を左に、緩やかに尾根道を登って行きます。細くなった稜線は岩壁の上を歩いているようで左手は沢に向かって切れ落ちていました。
社峰への登りも紅葉に包まれた稜線歩きです。思いのほか急な登りに汗を流した社峰の頂からは、赤茶けた紅葉を纏った博士山の山頂が指呼の間に眺められます。
たどり着いた博士山の山頂は小さな広場と言ったところで、中央には角が補修された1等三角点、壊れた山頂標識が石の上に置いてありました。真っ青に晴れ渡った秋空ですが山頂からの展望はあまり良くありません。気温が上がっているのか磐梯山や猪苗代湖も霞みの中にその姿を隠していました。
下山は近洞寺尾根を下り車を停めた道海泣き尾根の登山口に戻ることにしました。下りは紅葉が綺麗に見えるとは昨日の甲子山で聞いた話ですが、午後の明るい日を浴びる真っ赤なカエデ、赤茶けているものの山肌を包むように燃えるブナの紅葉はこの秋最高の眺めと言えるでしょう。
大きな立ち枯れのブナにたくさんのキノコが生えています。キノコは詳しくはないものの猛毒のツキヨタケ。キノコ中毒の半数はツキヨタケと言われるようにシイタケやヒラタケと間違いやすいキノコです。キノコの足が笠の片隅に付いていること、夜になると青白く光ることが見分けるポイントとか。
博士山の山頂を振り返りながらたどり着いた尾根分岐。ここからは1266mのピークに向かって小さく登り返すことになります。ピークの先には近洞寺跡の道標がありました。地震で倒壊したと言う古いお寺と言う記述もあるようですが詳しい話は判らないようです。
ここからも雑木林の尾根道を下って行きます。固定ロープなどはないものの思いの外急な下りです。下るにつれ雑木林は真っ赤なカエデから茶色のブナやホオノキ、黄緑色のオオカメノキなど目立つようになります。
やがて登山道は東に向きを変え右手の山肌を下って行くようになります。1/25000地形図では尾根通しに大谷滝尾根を下っているようですが登山道が付け直されているようです。幾分緩やかになった雑木林の中をジグザグを切り中ら下って行きます。
やがて登山道は小さな沢へと下って行きます。浅い沢をしばらく下ると林道にたどり着きました。現在は通行止めとなっているようですがこの先新しい道路が造られているとか。しばらくすると博士山へのアプローチも変わってくるかもしれません。
ここからは車を停めた道海泣き尾根の登山口への車道歩きです。目の前には低くなった日の光を浴びる博士山。紅葉に染まった社峰の山肌には切り立った岩壁がそそり立っていました。