何時も多くのハイカーで賑わう立山の雄山の稜線から外れ、称名川の右岸に大きな山裾を広げる大日岳。稜線上には最高点である奥大日岳と、これから続く中大日岳、大日岳の3つの頂を持ち、これらを合わせ大日三山と呼ばれています。奥大日岳は日本200名山のひとつにも選ばれ、また大日連峰として新花の百名山にはカライトソウやウサギギク、タマガワホトトギスの咲く山として紹介されています。
大日岳はその名前が示すように大日如来を祀る修験道の場であったようで、中大日岳近くの七福園には、平安時代の錫杖が発見された丈窟と呼ばれる岩屋もあると言います。
立山ケーブル駅=(立山ケーブル)=美女平=(立山高原バス)=室堂~(1h20m)~雷鳥沢キャンプ場(テン泊)
歩行時間 1:20
雷鳥沢キャンプ場-(0h40m)-新室堂乗越-(2h10m)-奥大日岳-(1h05m)-2,735m鞍部-(1h00m)-大日小屋-(0h20m)-大日岳-(0h15m)-大日小屋-(2h40m)-奥大日岳2611m峰-(2h05m)-雷鳥沢キャンプ場(テン泊)
歩行時間 登り5:15、下り5:00、合計 10:15
雷鳥沢キャンプ場-(0h40m)-ミクリガ池-(0h20m)-室堂=美女平=立山ケーブル駅
歩行時間 1:00
たどり着いた室堂はたくさんの観光客で混雑しています。真っ青に晴れ渡った青空の下には大きな立山、その後ろには剱岳の岩峰もそびえています。高山植物が咲く石畳の遊歩道を雷鳥沢に向かいます。途中で写真撮りながら下って行った事もあり、雷鳥沢へは1時間近くかかってしまいました。
広い雷鳥沢のテン場は20張り以上のテントが立ち並んでいます。1泊1人500円、山小屋のように予約も必要なくやはり気楽に行動できることが何よりです。
お握りとラーメンの昼食を取ったのち、テン場のベンチで辺りを見ながらボケ~ット。ここからは立山の稜線を歩く人、別山乗越へと登って行く人などが豆粒のように見えています。雲の流れに刻々と色を変える山肌、ハイマツの緑と白っぱい岩肌、谷筋に残る雪渓を眺めながら久しぶりにゆっくりと半日を過ごしましたしました。
登山道は雷鳥沢から奥大日岳、大日岳の頂をたどり、大日平を経て称名ノ滝へと縦走できるようになっています。しかし生憎今年の梅雨の土砂崩れで通行できないようです。今回は雷鳥沢からの往復で奥大日岳へ。元気があれば七福園から大日岳へと足を延ばすことにします。
朝食、昼食それと雨具などをリュックザックに詰め込み、雷鳥沢にかかる木の橋を渡ります。雪解け水を集めた雷鳥沢は水量も多く、冷たそうな水が音をたてて流れていました。
別山乗越へと向かう沢を右に分けると大日岳への登りが始まります。かなり雪は腐っていますが急な斜面をトラバースする大きな雪渓があります。雪渓の脇にはスコップもあり、雪道を掘ってくれているようですが少し危なそうなところです。
たどり着いた稜線が新室堂乗越と呼ばれるところで、昨日は剣山に登り剣御前小屋で一夜を過ごしてと言うパーティが休んでいました。なだらかになった稜線上の道は2つのピークを巻きながら奥大日の山頂を目指します。登山道はハクサンイチゲやコイワカガミなどの花に彩られ今がまさに夏の真っ最中、振り返ると雪渓の白とハイマツの緑のコントラストが美しい立山、その左には剱岳の岩峰がそびえていました。
先行する夫婦連れが立ち止まっていました。目の前には2羽の雛を連れた雷鳥が歩いています。よちよちと歩く雛は縞模様のヒヨコといったところ。人に驚く様子もなくしばらく餌をついばみながら藪の中に消えて行きました。
奥大日岳は東西に長い稜線上の頂で、雷鳥沢から眺めた頂は2611mの手前のピークのようです。登山道は山肌を巻くようにして奥大日岳の山頂に向かい登って行きます。たどり着いたハイマツの稜線を左手に進むと奥大日岳の山頂。岩が積み重なる小さな頂には山頂の標柱と三角点の標石があります。よく見ると頭が丸い主三角点で辺りを見渡しても三角点は見当たりませんでした。
先ほど出会った夫婦連れはここから雷鳥沢に戻るようです。ここまではハイキング気分で訪れる人が多いようですが、称名ノ滝までの道が通行止めになっているようで大日岳まで足を延ばす人は少ないようです。
奥大日岳からは小さな岩場を下ります。登山道は山腹を巻くように崩れやすい岩まじりの道を下って行きます。鞍部手前の岩場からの下りには鎖や長いアルミの梯子もあり少し緊張するところです。
たどり着いた鞍部からは急な登り返しが始まります。大きな岩を巻くように鎖場が張られています。右手は沢に向かってかなり切れ落ちていました。
一度小さく下って登り返したところが七福園と言われるところです。白ザレした岩が立ち並ぶところで、かっての大日信仰の修行の場とか。小さな岩屋には木札が収められていましたが今でも山岳信仰の修行回峰が行われているようです。
ここから小さく下ったところが大日小屋の建つ鞍部です。小屋には小屋番の若者が一人。話を聞くとこの小屋のオーナーはギター職人で、3人の弟子は山小屋の手伝いをすることが弟子入りの条件とか。山とギターの2つのハードルはなかなか高そうです。
雪渓の脇を小さく登ると大日岳の山頂です。山頂には三角点と山頂標識があります。目の前には雲の中から剱岳がその頭だけを出していました。
大日小屋に戻り昼食です。小屋では小屋番の若者がギターを弾いていました。ギター職人と言いますがとても上手です。ホームページにはこの小屋に泊まるとスタッフがギターを弾いてくれると紹介されていましたが確かに素人の領域ははるかに超えています。
時計はすでに1時を過ぎています。帰りの時間も気になるところです。大日小屋から小さく登り返すと七福園です。やがて大きな岩を回り込むように下って行く鎖場にはヘルメットをかぶった2人連れが休んでいました。二人とも作業服、今から大日岳に向かうようですが仕事なのかも知れません。
登山道の上には雷鳥が砂浴びをしていたようで、知らずに近寄ると慌てて羽根を一枚残して走り去って行きました。あまり飛ぶことがないと聞いたことがありますが結構慌てて飛んで行ったようです。
奥大日岳へ向かっての登りは疲れた足にはかなりこたえる登りです。急なアルミの梯子を登り、奥大日岳の山肌を巻くように登って行きます。下りのときにはあまり気になりませんでしたが、右手は称名川に向かった切れ落ちて、岩屑に覆われた道はかなり崩れやすく気のおけない登りです。
喘ぎながら登り詰めた奥大日岳では、主三角点しか見つけられなかったので、三角点を探しに稜線上を2611m峰まで足を延ばしてみました。しかし結局、三角点は見つかりませんでした。後ほど、国土地理院のホームページで確認してみると露出にはなっていましたが1987年の確認ですので23年前ではなくなっている可能性も十分ありそうです。
奥大日岳からは日も傾き始めた稜線を下って行きます。巻上がる霧に目を向けるとブロッケンが浮かんでいます。昔の人は光芒を放つこの姿を目にし阿弥陀如来の来迎を感じたと言います。まさにこの稜線は山岳信仰の息づく稜線のようです。
急な雪渓を下ると程なく雷鳥沢のテン場にたどり着きました。今夜も雷鳥沢のテン場で一夜を過ごすことにします。
朝起きると立山はガスに包まれていました。元気が良ければ立山に登ってくることもできそうですが体の調子はあまり良くありません。
朝食の後、ひと休みしてからテントを撤収して室堂に向かうことにします。帰りは地獄谷からミクリガ池へ。以前地獄谷を訪れた時は温泉の冷却用に蝸牛のような熱交換器が設置されていた記憶がありましたが今は見ることはできません。噴気が作り出した硫黄の塔もありましたがこちらもかなり小さくなっているようです。
急な石段に汗をかきながら登り詰めたミクリガ池。今日も緑色の湖面に立山の山並みが浮かんでいます。
たどり着いた室堂はたくさんの観光客で賑わっています。台湾からの観光客なのか、中国語が辺りに飛び交っています。秋葉原で買ったのかデジタルカメラを片手に、たくさんの若者は湧水の前で写真を撮っていました。
車窓からは昨日たどった大日岳の長い稜線が続いています。途中、中大日岳から奥大日岳目への鞍部は、やはり厳しそうな登り返しがここからも感じることができそうです。
大日岳は花の多い稜線が続いています。雪解け直後というだけでなく、奥大日岳から中大日岳へと続く登山道には小さな湿地もあり、11枚の葉を付けたキヌガサソウが咲いていました。キヌガサソウの葉は6枚から12枚と言いますが、笠ヶ岳でも10枚の葉を見たようですが葉の数が多いキヌガサソウはあまり見かけないものです。花弁の枚数は10枚でした。
大日岳の周辺はムシトリスミレの群生があると言いますが全く見付けることができませんでした。この稜線では奥大日岳の2611m峰近くの道端に1輪咲いていただけです。
稜線にはベニバナイチゴの花を見つけることができます。そろそろ花に時期は終わりに近づきまだ熟してはいないものの、イチゴのような実が木の先に膨らみ始めていました。熟した実は食べられると言いますがはたしてどのような味でしょうか。
またこの稜線にはツガザクラが咲いています。ツガザクラには萼が黄緑色を帯びるコツガザクラがありますが、この稜線にはツガザクラとコツガザクラが咲いているようです。おなじみのアオノツガザクラも見付けることができました。思いのほか花の多い稜線歩きを楽しむことができた山行でした。