上越国境に連なる長い稜線は越後と上州の交通の難所として、多くの旅人を苦しめてきたところです。戦国の武将、上杉謙信により関東への足掛かりとして整備された三国峠越えの道も、冬期間の豪雪や土砂災害などが頻発する交通の難所であったと言われています。
三国山は三国峠の北に位置する稜線上の頂きで、上州、越後、信州の三国の境となる山として三国山の名が付けられています。しかし実際には信州との国境は接していません。三国峠から三国山、大源太山へと続く稜線は上信越自然歩道として整備が行われ、紅葉のハイキングを楽しむ山としてガイドブックにも紹介されているところです。
そろそろ朝晩は冷え込みが増してきた時期、上越の国境は紅葉に彩られる季節が始まっているようです。三国山の登山口は国道17号線の三国トンネルの傍らにあります。国道に面した駐車スペースにはすでに数台の車が停まっていました。
三国峠へと登っていく道は古い街道のようで幅の広い緩やかな登りが続いています。ジグザグに曲がりくねった道には落葉が厚く積もり、黄色や赤に色付いた木々は秋の深まりを教えてくれるようです。緩やかに登って行く道はほどなく広く開けた三国峠にたどり着きました。
御坂三社神社の額が掲げられた社の傍らには三国峠を越えた人の名を記した石碑が建っていました。古くは平安時代の坂上田村麻呂や弘法大師、江戸時代には越後の大名が参勤交代にこの峠を使ったことがうかがえます。なかでも戦国の守護大名、上杉謙信は居城の春日山城からこの峠をたどり関東に出陣したと伝えられています。三国峠の麓には北条氏との戦に備え築城された火打峠城、浅貝城などの城跡も残っていると言います。
三国峠からは木の階段が続く急な坂道を登って行きます。一歩々高度を上げて行くと秋空の下に視界が開けてきます。振り返るとホテルやリゾートマンションが建ち並ぶ苗場スキー場、その右手には苗場山が平らな山頂を広げています。白く霞んではいるものの大きなすそ野を広げる浅間山、左に目を移すと榛名山から赤城山などの山々のPanoramaが目に飛び込んできました。
花の季節にはニッコウキスゲが咲くと言うお花畑からは再び急な坂道を登って行きます。途中、平標山へと向かう巻き道を左に分け、まっすぐに登って行く木の階段に息を切らせると三国山の山頂です。南北に細長い山頂は小さく開けた広場と言ったところで、2等三角点と幸福の鐘と書かれた鐘があるだけのひっそりとした頂です。
山頂で一休みしたのち、大源太山へ向かうことにします。山頂から少し戻ったところで道を右に。紅葉に包まれた雑木林を下ると先ほど別れた巻き道を合わせ稜線上の尾根道が始まります。明るい尾根道はアップダウンを繰り返しながら大源太山へと向かって行きます。左手にはナナカマドなどの紅葉をちりばめた平標山から仙ノ倉山の山肌。丸い大源太山の右手にはエビス大黒ノ頭から万太郎山、オキノ耳、トマノ耳へと続く谷川岳の荒々しい岩峰が続いていました。
途中、小休止をしたのち登りつめた小さなピークが三角山です。浅貝へと下って行く道が左に分かれています。
三角山で展望を楽しんだのち大源太山へと向います。一度小さく下った道は大源太山の山肌を巻きながら雑木林の中を緩やかに登って行きます。やがて左に平標山へ向かう道を分け雑木林の斜面を登ると小さな沢の源頭、ここからひと登りすると大源太山の山頂の一角です。
山頂は稜線を少し進んだところにあります。明るく開けた山頂からはエビス大黒ノ頭の切れ落ちた岩峰が圧倒的な迫力で迫ってきます。その左手には対照的に笹に覆われた平標山と仙ノ倉山。川棚ノ頭の右には特徴のある吾妻耶山や上州三峰山などの山々。青く続くスカイラインの下には皇海山や日光白根山などの山々も見付けることができます。
昨年訪れた仙ノ倉山の山頂で谷川岳最深部のPanoramaに息を飲んだ記憶が残っていますが、ここから眺めるエビス大黒ノ頭の崩壊した岩峰もまた見る者を圧倒的する迫力で迫ってくるようです。
前を歩いていたハイカーが2人ほどいましたが彼らは大源太山から平標山へと向かったようです。ここから平標山の鞍部にある平標山の家までは30分ほどの道程ですが、平標山側へ下ると帰りの交通の便が心配です。今回は車を停めた三国峠へ戻ることにしました。
途中、小休止をしたのち最後の急な登りに汗を流すと、三国山への分岐点です。帰りは山頂には向かわず巻き道をたどり三国峠へと下ることにしました。たどり着いた三国峠からは日の落ち始めた雑木林の中の道をゆっくりと下って行きます。やがて行き交う車の音が近づいてくると車を停めた三国トンネルは目の前です。
三国山の山頂には2等三角点、大源太山の山頂には3等三角点が設置されています。このほか大源太山の手前の稜線には主三角点と書かれた三角点がありました。主三角点は明治時代、農商務省山林局が国有林の測量のため設置した三角点で、1等三角点に相当する主三角点、2等三角点に相当する次三角点などが設置されたと言います。
当時の三角点は北アルプスや東北地方に残存していると言います。大源太山の主三角点もこのような三角点の一つのようです。