満願寺 


 寺社の種類:真言宗智山派のお寺
 山号:致航山
 創建の時期:文明2年(1470年)、開基・吉良氏、開山・定栄和尚
 札所:玉川八十八ヶ所霊場 54番
 所在地:東京都世田谷区等々力3丁目15-1
 訪問日:2023年6月21日

 

満願寺は文明2年(1470年)吉良氏によって深沢の兎々呂城に創建されました。天文18年(1549年)当地へ移転したと言います。

満願寺の山門
満願寺の本堂
萬願寺のコンクリート造り本堂
本堂の内部
庚申塚
満願寺の案内板

末寺には等々力不動善養寺、金剛寺、覚願寺、真福寺があります。

 

 《満願寺 ?起》現地の案内板

致航山感應院満願寺は真言宗智山派の名利で、本尊は金剛界大日如来、開創は平安末と伝えられる。室町時代に吉良氏の世田谷城の出城、兎々呂城に祈願寺として現在地に移され中興された。山号を醫王山から致航山に改め、このときに本尊は薬師如来から大日如来となった。

徳川幕府より寺領十三石を得、総本山に代わって仏教、密教を教え伝える勧請道場でもあり常法談林三衣の格式を持つきである。

現在の山容は昭和四十五年に落成した昭和を代表する名建築。設計は現代教寄屋建築の第一人者吉田五十八氏。昭和六十二年に境内西側に講堂が完成。また客殿の北側には総檜造りの大塔が聳え静謐な宗教空間を醸し出している。大塔の本尊は胎蔵界大日如来が虚空に浮かぶ中台八葉院に安置されている。講堂の本尊は八頭の獅子座に座る一字金輪如来。

講堂の一隅には一言祈れば願いが叶うという日本三体地蔵の一言地蔵が祀られ多くの参詣者が訪れる。

境内北側には薬師如来を祀る瑠璃光院薬師堂があり東には王川神社(旧熊野権現)があり明治までは満願寺が別當を勤める。

こ本堂北側には東京都史跡、江戸時代の万能の天才、細井廣澤の墓がある。山門の顔「政航山」は廣澤の書。本堂の「満願寺」は廣澤の長男、九阜の書。当山には廣澤の遺品が数多く伝わる。

なお兎々呂城を「ととろき」と読むところから等々力という地名の由来という一説あり。。

平成二十五年(2013年)から平成の大改修を行い、本堂、客殿の大屋根をチタンに芽き替えと大塔檜皮の替え創建当初の美しい姿を甦らせた。

日本全国に名前の轟く等々力不動尊に満願寺が管理し、同じくこ本堂の瓦の葺き替え、舞台の改修、山門の解体修理なども終わり、大般若経六百巻の造顕し、来る今和五年(2028年)に迎える弘法大使ご生誕一二五〇年記念大聖業として境内整備を行っている。

満願寺山主龍樹

 

 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)

真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。

 

 大日如来(だいにちにょらい)

真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 大日如来(だいにちにょらい)

真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

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