武蔵国分寺跡からお鷹の道 


 歩行時間:行動時間 4:00、歩行時間3:20
 歩行距離:5.3km
 累積標高差:+50m、-55m
 往路・往路:JR中央線国分寺駅
 訪問日:2023年5月3日

 

 コースタイム


国分寺駅12:05~姿見ノ池~西国分寺駅12:45~八幡神社13:15~武蔵国分寺跡13:30~国分寺薬師堂13:45~史跡の駅おたカフェ13:50/14:20~真姿の池湧水群14:25~不動橋14:40~殿ヶ谷戸庭園14:45/55~国分寺駅15:05

 

 武蔵国分寺跡からお鷹の道


国分寺は聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院です。武蔵国の国分寺は東山道と東海道を結ぶ東山道武蔵道の傍に置かれました。

また野川の周辺は国分寺崖線(はけ)と呼ばれる河岸段丘です。関東ローム層に降った雨は段丘面から染み出し野川となって多摩川へと流れていきます。

周辺には尾張徳川家の御鷹場に指定されていたお鷹の道があります。遊歩道として整備された道は武蔵野の自然が今も残されているところです。

たくさんの人で賑わう国分寺駅から中央線沿いに歩くと右手には日立製作所の中央研究所、ここは野川の源流の一つです。

国分寺駅
中央線に沿って続く散策路
日立中央研究所は野川の源流
住宅地の間から姿見ノ池へ

中央線のガードをくぐると恋ヶ窪、旧鎌倉街道の宿駅があり、遊妓などもいたことから名付けられたと言います。畠山重忠に寵愛された夙妻大夫なる遊女が、重忠戦死という偽言に迷い、悲しみの余り姿見ノ池に身を投げたと伝えられているところです。

東山道武蔵道の案内板
姿見ノ池
西国分寺駅
東山道武蔵道の案内板

西国分寺駅からしばらく歩くと東山道武蔵道です。発掘により幅12mほどの直線道路が出現しました。五畿七道の時代、武蔵の国は東山道に属する国で上野国邑楽郡から5駅を経て武蔵国府に至る武蔵道が設けられたと言います。

武蔵国分寺周辺の案内板
武蔵国分寺公園の入口
八幡神社の拝殿
拝殿の天井に千社札

武蔵国分寺公園の先で道を左に折れると八幡神社、近くには土師竪穴住居群の案内板があります。古墳時代から平安時代の住居跡と言い土師器と呼ばれる土器が発見されたところです。

武蔵国分寺は武蔵道を挟んで東側に僧寺、西側に尼寺がありました。伽藍は元弘3年(1333年)の分倍河原の合戦で焼失しましたが、建武2年(1335年)、新田義貞により薬師堂が再建されたと言います。

国分寺を継承するお寺は医王山最勝院国分寺、大きな仁王門の先に薬師堂や本堂があります。

国分寺薬師堂の案内板
国分寺薬師堂
国分寺薬師堂
武蔵国分寺跡の案内板

薬師堂に祀られるのは平安時代の作という薬師如来坐像、目にご利益があるとされ10月10日には開帳法要が行われていると言います。

広大な武蔵国分寺跡には金堂や講堂、国分寺のシンボルとなる七重の搭などが建っていたと言います。多くの礎石が残っている金堂は本尊を安置するところ、また講堂は経典などの講義が行われるところです。

国分寺仁王門
国分寺仁王門の案内板
広い国分寺跡
金堂跡の案内版

単なるお寺というよりは国を造る人材を育てる大学のような性格をもっていたのでしょう。

現地の案内板によると金堂と講堂の間には幢竿(どうかん)があったと言います。幢竿は建物の威容を示すための幟と言います。

講堂跡の案内板
国分寺楼門
武蔵国分寺の山門
武蔵国分寺

歴史と文化の散歩道の案内板に従い歩く散策路はお鷹の道、細い流れに沿って遊歩道が続いています。人気の道ということもありたくさんの人が歩いていました。

途中には史跡の駅おたカフェがあります。小さなテラスで食べたジェラードはなかなかの美味でした。

歴史と文化の散歩道の案内板
お鷹の道
史跡の駅おたカフェ
国分寺周辺の案内図

しばらくする左手に真姿の池、野川の源流の一つで崖線(はけ)から湧き出す湧水が作り出した池です。不治の病に悩まされていた玉造小町がこの池の水で身を清めるとたちどころに病が癒えたことから真姿の池と呼ばれるようになったと現地の案内板に書かれていました。

自然の中の遊歩道
道沿いに細い流れ
真姿の池
子供た遊ぶ真姿の池の湧水

初夏にはこの道にホタルが飛び交うとか、近傍の人が草取りに参加しているという道は自然と歴史が緩やかに時を刻んでいる遊歩道です。

真姿の池の案内板
お鷹の道
野川の案内板
不動橋の石仏

やがて道は不動橋です。日立中央研究所からの野川はここで合流し多摩川へと流れています。橋の傍には不動明王の石碑と庚申塚が祀られていました。

殿ヶ谷戸庭園脇の道
国分寺駅

道は殿ヶ谷戸庭園脇を通り国分寺駅へ、歴史の流れを感じながらの軽い散策の街歩きでした。

 

 コース GPSmap


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 聖武天皇(しょうむてんのう)

第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。

 

 畠山重忠(はたけやま しげただ)

1164~1205年、鎌倉初期の武将。源頼朝に従い、有力御家人の一人となる。のち北条氏と対立、北条義時の大軍を武蔵二俣川に迎え撃って戦死した。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

 文武天皇(もんむてんのう)

第42代天皇(在位:697年8月1日~707年6月15日)天武天皇・持統天皇の孫。草壁皇子の第一皇子。大宝律令を制定。万葉集、懐風藻に入集した。陵墓は奈良県高市郡明日香村栗原の檜隈安古岡上陵。

 

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 楠木正成(くすのきまさしげ)

1294~1336年、南北朝時代の武将。河内国の土豪。1331年、後醍醐天皇に呼応して河内赤坂城に挙兵、建武政権樹立に貢献し、河内和泉の守護となった。1336年足利尊氏を兵庫湊川に迎え討つが敗れ、弟正季と刺しちがえて死んだ。

 

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